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2009年2月 4日 (水)

立川談志はマイルスである

七十歳を越えた立川談志の姿は「老い」を感じさせた。NHKが昨年BSで放送したものを総合テレビ向けに編集し直した番組で目にした談志は「痛々しい」ほどの姿だった。若い頃の威勢の良い姿を記憶しているだけに、歳月の肉体に及ぼす残酷さというものを考えずにはいられなかった。

喉頭ガンを克服したばかりだったからなのか、声はかすれて聞きづらい。しかも自分の思考速度に言葉が追いつかないのがもどかしいという様子がありありと見える。さまざまに浮かぶアイディアに表現が追いつけない苛立ちが見ているこちらに伝わり、ついに談志も「老い」には勝てないのかと見続けるのがつらくなった。

ところがである。画像を無くして「声」だけにして噺を聞き直してみて驚いた。これは一体何というすさまじい芸の極致であることか。正直にこの人は「天才」だと思った。こんなに深い噺の解釈ができるのか、これほど深い世界が落語という話芸で描けるのか。老いた肉体が痛々しく噺に集中できなかったときには分からなかった談志のすごさが、「声」だけにしたときにまざまざと感じられた。

NHKの番組で放送されたのは、「やかん」「粗忽長屋」「へっつい幽霊」「芝浜」「居残り左平次」の五つだが、このうち「へっつい幽霊」と「芝浜」は若い頃の「談志ひとり会」の録音で耳にしていた。若い頃の談志の落語は、マシンガンのようにあとからあとから言葉がほとばしり出てくる威勢の良さがあり、落語界の革命児というイメージにピッタリのものだった。しかしよく聞くとその噺は古典落語の伝統をしっかり継承したものであり、今の談志の高座とくらべると、その噺の奥に古今亭志ん生や桂文楽、あるいは桂三木助や師匠の柳家小さんといった師匠たちの姿が垣間見えるものだった。思ったほど独創的なものが多く加わっているわけではなかったのだ。

だが「へっつい幽霊」と「芝浜」を聞いて驚いた。どちらも深みがまったく違う。「へっつい幽霊」は、ばくち好きの左官屋が丁半ばくちで儲けた金をへっついに塗り込めてかくしたままひょんな事から死んでしまい、その金を取り戻すために古道具として買い求めた人間の所に「金返せ~」と出て来るという噺なのだが、その幽霊の金を使い込んだ「向こう傷の熊」というお兄いさんと幽霊の間で交わされるやりとりが絶妙で楽しめる。この噺を若い頃はおそらく伝統的な形のサゲのままで終わらせたのだと思うが、新しい「へっつい幽霊」では一度従来のサゲを示して観客もこれで終わったものと拍手を始めたところへ畳みかけるように新しいサゲを提示する。脱帽するしかない。

さらにすごかったのが「芝浜」である。画面を見ながら聞いていたときには、老いた談志の演じる魚屋の女房がどうしても老女にしか見えず違和感があったのだが、「声」だけで聞き直してみると一人芝居を耳にしているようなリアルさが浮かんできた。それは登場する人物の心情のリアルさである。「芝浜」については以前の記事「光と闇」にあらすじを載せているので詳述しないが、今の談志の噺には魚屋と魚屋の女房の人物像がこれ以上無いと思われるほど正確に描き出されている。目の前に二人の生きた人間の姿がはっきり見え、その行動の細部のもつ意味がすべて納得のいくものとして噺の終結部まで語られていく。近代落語の祖と言われる明治の三遊亭圓朝が書いた人情噺「芝浜」をここまで深く解釈し演じたのは、おそらく立川談志だけではないだろうか。ルノワールやモネの晩年の大作を目にしたときのような不可思議な感動がわき起こる一席だ。

この噺の談志の声はかすれて聞き取りにくい。それにも関わらずその声が描き出すイメージの世界はこの上もなく豊かだ。ある魚屋とその女房の人生の一断面をみごとに切り出して見せてくれる。実際に二人の人間がやりとりしているその場に居合わせているような錯覚を何度も味わう。この二人のささやかな市井の生き方には深い感動を覚えずにいられない。

さて、なかなか表題の「立川談志はマイルスである」にたどり着かないが、残りの三席の噺とともに次回に続く。

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コメント

立川談志の毒舌は私も好きですね。彼の毒舌を継承しているのが爆笑問題の太田ですが、緻密な思考と、ピジョンを持った毒舌には、一種の爽快さがありますね。
相手が模索している、思考の深いところを、いっきに突いてくる感覚の凄みは、日頃のアンテナの広さを感じます。立川談志的芸人が、たけしと太田ぐらいしか最近は見うけられないのが残念です。

(学び舎主人)
コメントありがとうございます。
爆笑問題の太田光は、談志が洒落で「オレの隠し子だ」と言ったことからホントにそうだと思い込んでしまった人がいたみたいですが、談志的思考をする人ですね。たけしも立川流のBコース(有名人コース)立川錦之助という名前をもらっているくらいですから、談志的世界を共有していると思います。
みな問題の核心をズバリと一言で突いてくる鋭さがあって、一般には「口が悪い」「コワイ」といったイメージがあるのかもしれませんが、大事な発想を含んでいること多いように思います。

投稿: かねごん | 2009年2月 5日 (木) 13時46分

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