今年は大晦日まで仕事です
四半世紀ほど塾講師の仕事をしてきたが、大晦日まで仕事をするのは今年が初めてだ。
正月早々、松の内に高等看護学校を受験する高3生がいるため、大晦日と1月3日に指導が入っている。冬期講習も年内は30日まである。首都圏の学習塾みたいにみんなで鉢巻でもしめて越年講習でもやろうかと冗談で言ったら、それはやめて下さいと中3の生徒たちが本気で反対したので洒落にならなかったが、それにしても歳の暮れという気が全くしない。
年の瀬のぎりぎりまでダラダラと仕事をしているせいなのか、正月が来るという実感が湧かない。それでも今年は雪があるから暮れらしい景色にはなっている。先日の降雪の際に久しぶりに雪かきをした。駐車場は2台分借りているのだが、雪を片付ける関係で隣接するもう1台分のスペースも雪かきしなければならず、都合3台分の雪かきとなる。3台分の広さの雪というのは結構な量になる。帰宅する前の夜遅い時間に雪かきをしていても寒さも忘れて汗ばんでくるほどだ。一度に片付けられず結局二日に分けての雪かき作業となった。あらためて運動不足だなあと実感する。
それにしても大変な世相の暮れになってしまったものだ。こうして大晦日まで仕事できるのはありがたいとしなければならない。年が明けて来年は予想も付かないくらい大変な景気の悪さが押し寄せてくるかもしれない。よく暴動が起きないものだと思う。それほど飼い馴らされてしまったということか。従順な日本人。黙々と耐える日本人。格差を作り出している社会の仕組みや政治の貧困にもっと怒りを覚えてもいいのではないか。中島みゆきの「世情」が浮かんでくる。「シュプレヒコールの波、通り過ぎて行く…」という歌詞が現実の光景として目に付くことが多くなるのだろうか。あるいはまた、社会への不満と追いつめられた状況から反社会的行為へと走る人々があらわれるのだろうか。芥川龍之介の「羅生門」に出てくる下人と同じような選択をする人が出てきても確かに不思議ではない。
自己責任という名の下にセイフティネットをどんどん無くしていった挙げ句の現状ではないのか。そのような政治家しか選んでこなかった有権者の我々にも問題がある。まずは投票に行くことだろう。投票率が上がらないうちは大きな変化は起きない。政治家に対する不信感と失望感は広まるばかりだが、しかしそれでも少しでも期待できそうな政治家をしっかり見極めて代表として選ぶべきなのだろう。だめならば変えればいい。国民主権とはまさにそういうことを言うのではないか。総選挙がいつになるのか分からないが、主権者である国民の声を早く国の政治に反映させなければ、政治に対する不信感や失望感は広まるばかりだ。
なによりも、そういう政治への不信感や失望感が子どもたちの上に及ぼしている影響を大人はもっと真剣に考えなければならない。未来への希望が持てないような社会、豊かさの実感がない社会、機会の公平さが担保されない社会。そういう社会で子どもにしっかり生きて行きなさいと心の底から言えるか。
子どもたちが反面教師としてこの社会を見てくれているのであればいい。彼らが新しい価値観と新しい社会を作るために自分たちで道を切り開いてくれるだろうから。しかし自分たちがどう考えても世の中は変わりはしないのだと諦めてしまい無力感しか持たなくなるようであれば、より暗い見通しの社会しか期待できなくなる。子どもたちが未来に希望を持てる社会であってほしいと切に願う。子どもたちの元気な声が響かないような社会は、どう考えても健康な社会とは思われないからだ。
と、歳の暮れになって悲憤慷慨してもどうなるものでもないが、書いているうちに腹立たしくなってしまった。穏やかに締めくくるつもりがめちゃくちゃになってしまったが、これもまた今年という一年の世相の反映というべきものかもしれない。
ほとんど更新しない当方のブログにこの一年お付き合いいただいた心優しい方々へ御礼申し上げるとともに、来年もまたよろしくとご挨拶して筆を納めることにしたい。よき一年が皆様に訪れますように。
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