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2008年10月25日 (土)

恐るべし、ジャズ・ジャイアンツ2

前回ハンク・ジョーンズが満90歳を迎えてなお、毎日4時間の練習を欠かさないという話を引用しましたが、またまた一関のジャズ喫茶「ベイシー」のマスター菅原正二さんが朝日新聞岩手版に連載している「Swiftyの物には限度、風呂には温度」というコラムで興味深い話を読みましたので、ご紹介します。

物事にはおのずと「着地点」というものがはじめから決まっており、その「場所」が見えておれば無駄に右往左往する必要はないのだ、ということを、ぼくはカウント・ベイシーから無言で教わった。(朝日新聞岩手版2008年10月25日付)

こう書き出し、菅原さんは翌日大阪でのコンサートを控えた京都でのある夜のエピソードを紹介します。ベイシー・オーケストラのベーシストが、母親が亡くなったから翌日帰国してもいいかとホテルのベイシーの部屋にやって来たときのこと。ベイシーはお悔やみを言った後に「帰るか、帰らないかはワシの決めることではない。お前が自分で決めればよろしい」と寝てしまったそうです。あわてた菅原さんは知人の東京のベーシストに電話をかけまくりますが、みな尻込みするばかりでもうダメだと思った深夜、当のベーシストが現れ帰国を止めたことを告げ一件落着。

別の来日公演時、今度はバリトン・サックス奏者が同じことを言い出し、そのときもベイシーは慌てずさわがず同じ答えをして寝てしまうのですが、前回と違ってサックス奏者は帰国してしまいます。翌日に岩手での公演を控えていて困った菅原さんはジャズ評論家の野口久光さんに電話します。すると野口さんは「あのネ、1930年代初頭、カンザスシティー時代のベイシー楽団にバリトン・サックスいなかったの」と平然とおっしゃったそうです。この一言で菅原さんは慌てるのをやめ、翌日の岩手公演ではバス・トロンボーン奏者がバリトン・サックス奏者の抜けた低音部を何事もなかったようにカバーしていたとのこと。

ベイシーの「御大」ぶりがうかがえて、思わず頬がゆるんでしまいました。何があっても無駄に慌てる必要はないのだという確固たる信念があるから、メンバーが帰国したいと言い出しても「ワシの決めることではない」と寝ることができるのでしょう。物事はなるようにしかならない、あるいはなるようになるものだ、ということでしょうか。長年楽団を率いてきたボスならではの貫禄です。「着地点」が見えている、というのはすごいことです。長年の経験も大きいのでしょうが、やはりその経験に裏打ちされた哲学が感じられる話です。

カウント・ベイシー・オーケストラの公演を聴きにいったのはたった一度しかありません。最後の来日になった年だったと思います。宮城県民会館での公演でした。ベイシーは電動車イスに乗ってステージに現れ、体調があまり思わしくないのかと痛々しかったのですが、一方で三輪車に乗ったいたずらな子どものようにも見え、なんだかとぼけた味がありました。ピアノの前に座るとポロン、ポロンとごくわずかな音しか出さなかったのですが紛れもなくカウント・ベイシーの音でした。その時もすごいもんだなあと思ったものです。余計なものを全部そぎ落とした俳句みたいな演奏なのにやっぱりカウント・ベイシーなのです。一音、一音がカウント・ベイシーその人のすべてを表していて、他のだれともまちがえようのない世界をそこで聴かせてくれました。

何を語るかではなく、何を語らないか。簡にして潔。いつもダラダラと無駄なおしゃべりが多い私は、教えすぎないことを自分に言い聞かせているのですが、ダメです。カウント・ベイシーのようにほんの二言、三言ですっと理解できるような教え方ができれば本望なのですが。道はまだまだ遠いなあ。

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