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2008年10月

2008年10月29日 (水)

もう読書週間?

ネタに詰まったときの奥の手、「積ん読」リストの秋期版です。興味のある方は春期版「今日は二番煎じです」もご覧ください。

そもそも春の読書リストのほとんどがまだ「積ん読」状態なのに、さらにまた「積ん読」本を増やすのはいかがなものか、と国会の首相答弁のような声が聞こえてきそうです。ま、ま、そう固いことはおっしゃらずに、まずは一席ごゆるりとお付き合い下さい。

春期版同様、「まだ読んでいない本のリストです。これから読んでみようかと思っている本ばかりですので、感想は書けません。本の表紙すら見ていません。タイトルだけで興味を引かれるものがありましたら、あなたもどうですか?」って、以前のブログからコピー&ペイストは楽だなあ。昔は「切り貼り」作業っていったら、本当にハサミで切ってノリで貼ってたんだけど。

 1 「息の発見」、五木寛之・玄侑宗久、平凡社
 2 「モーツァルト = 翼を得た時間」、磯山雅、講談社学術文庫
 3 「早わかり日本史」、河合敦
   「早わかり世界史」、宮崎正勝、ともに日本実業出版社
 4 「話し過ぎない技術」、芦屋広太、マイコミ新書
 5 「涙の数だけ大きくなれる!」、木下晴弘、フォレスト出版
 6 「遠藤周作 --- 挑発する作家」、柘植光彦編、至文堂
 7 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」1・2・3、武田邦彦、洋泉社
 8 「怖い絵」、中野京子、朝日出版社
 9 「イラク崩壊」、吉岡一、合同出版
10 「中東激変」、脇祐三、日本経済新聞社
11 「奇跡のリンゴ」、石川拓治著・NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班監修、幻冬社
12 「響きあう脳と身体」、甲野善紀・茂木健一郎、バジリコ

1は最近呼吸法にはまっておりますので、よっ待ってましたぁ、五木ひろしじゃなかった五木寛之、という感じです。2はなぜ選んだのか忘れてしまいました。が、モーツァルトの音楽は大好きです。3は歴史オタクとしてはちょっと素通りできないタイトルと、指導に使えるかもという不純な動機から。4はタイトルに惹かれました。毎度授業で無駄な説明ばかりしているので切実です、ハイ。5はなぜ入っているのか不明です。だいたい本のタイトルに!が入っている本は普段なら選ばないのですが、読書広告の文面に引っかかったのかもしれません。中身は分かりません。
6の遠藤周作はなつかしい限りです。中学時代から高校時代にかけての私の読書は、遠藤周作と筒井康隆の作品だけといっても過言ではありません。特に遠藤周作のカトリック作家としての作品群と「狐狸庵先生」シリーズの落差の大きさに驚かされたものです。歌手中島みゆきとディスクジョッキー中島みゆきの落差みたいな、と言っても分かんないよなぁ、今の中高生には。とにかく遠藤周作抜きには今の私はありません。
7は常々エコブームの胡散臭さが気になっていましたので、ちょっとのぞいてみたい本です。二酸化炭素は本当に増加しているのか疑問だと広瀬隆氏がある本で述べていたことも思い出します。8はタイトルのみで選びました。紹介記事もあったのですが忘れました。ちなみに「怖い絵 2」もあるそうです。「怖い絵」ってどんな絵だろうなぁ、想像するだけでああコワイ。
9・10はともにイスラム問題の専門家、小杉泰氏が紹介していた本ですので中身はまちがいないと思います。どちらもブッシュ後の中東を見るときに大いに参考になる本のようです。11は探しておりました。NHKの「プロフェッショナル」という番組でたまたま見て衝撃を受けた話です。リンゴの無農薬栽培は不可能と言われていたのを極貧状態まで追いつめられながら成功させたリンゴ農家のおじさんの話で、深く心動かされました。12は、その「プロフェッショナル」の司会でもおなじみの茂木健一郎氏が、古武術研究家の甲野善紀氏と「脳」と「身体」をめぐっていかなる対話をしているのか興味深いところです。

と、あいかわらず無茶苦茶でごった煮状態のリストですから私の備忘録にしかなりませんが、興味をひかれるものがありましたらどうぞご一読を。

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2008年10月25日 (土)

恐るべし、ジャズ・ジャイアンツ2

前回ハンク・ジョーンズが満90歳を迎えてなお、毎日4時間の練習を欠かさないという話を引用しましたが、またまた一関のジャズ喫茶「ベイシー」のマスター菅原正二さんが朝日新聞岩手版に連載している「Swiftyの物には限度、風呂には温度」というコラムで興味深い話を読みましたので、ご紹介します。

物事にはおのずと「着地点」というものがはじめから決まっており、その「場所」が見えておれば無駄に右往左往する必要はないのだ、ということを、ぼくはカウント・ベイシーから無言で教わった。(朝日新聞岩手版2008年10月25日付)

こう書き出し、菅原さんは翌日大阪でのコンサートを控えた京都でのある夜のエピソードを紹介します。ベイシー・オーケストラのベーシストが、母親が亡くなったから翌日帰国してもいいかとホテルのベイシーの部屋にやって来たときのこと。ベイシーはお悔やみを言った後に「帰るか、帰らないかはワシの決めることではない。お前が自分で決めればよろしい」と寝てしまったそうです。あわてた菅原さんは知人の東京のベーシストに電話をかけまくりますが、みな尻込みするばかりでもうダメだと思った深夜、当のベーシストが現れ帰国を止めたことを告げ一件落着。

別の来日公演時、今度はバリトン・サックス奏者が同じことを言い出し、そのときもベイシーは慌てずさわがず同じ答えをして寝てしまうのですが、前回と違ってサックス奏者は帰国してしまいます。翌日に岩手での公演を控えていて困った菅原さんはジャズ評論家の野口久光さんに電話します。すると野口さんは「あのネ、1930年代初頭、カンザスシティー時代のベイシー楽団にバリトン・サックスいなかったの」と平然とおっしゃったそうです。この一言で菅原さんは慌てるのをやめ、翌日の岩手公演ではバス・トロンボーン奏者がバリトン・サックス奏者の抜けた低音部を何事もなかったようにカバーしていたとのこと。

ベイシーの「御大」ぶりがうかがえて、思わず頬がゆるんでしまいました。何があっても無駄に慌てる必要はないのだという確固たる信念があるから、メンバーが帰国したいと言い出しても「ワシの決めることではない」と寝ることができるのでしょう。物事はなるようにしかならない、あるいはなるようになるものだ、ということでしょうか。長年楽団を率いてきたボスならではの貫禄です。「着地点」が見えている、というのはすごいことです。長年の経験も大きいのでしょうが、やはりその経験に裏打ちされた哲学が感じられる話です。

カウント・ベイシー・オーケストラの公演を聴きにいったのはたった一度しかありません。最後の来日になった年だったと思います。宮城県民会館での公演でした。ベイシーは電動車イスに乗ってステージに現れ、体調があまり思わしくないのかと痛々しかったのですが、一方で三輪車に乗ったいたずらな子どものようにも見え、なんだかとぼけた味がありました。ピアノの前に座るとポロン、ポロンとごくわずかな音しか出さなかったのですが紛れもなくカウント・ベイシーの音でした。その時もすごいもんだなあと思ったものです。余計なものを全部そぎ落とした俳句みたいな演奏なのにやっぱりカウント・ベイシーなのです。一音、一音がカウント・ベイシーその人のすべてを表していて、他のだれともまちがえようのない世界をそこで聴かせてくれました。

何を語るかではなく、何を語らないか。簡にして潔。いつもダラダラと無駄なおしゃべりが多い私は、教えすぎないことを自分に言い聞かせているのですが、ダメです。カウント・ベイシーのようにほんの二言、三言ですっと理解できるような教え方ができれば本望なのですが。道はまだまだ遠いなあ。

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2008年10月24日 (金)

道楽としてのコミュニティ活動

小さな自治会の自治会長を務めて一年半。あと半年弱で任期が終わります。

うちの自治会は2年交替で順番に会長を務めることになっていますので、今年度が終わればもう自治会長は回ってこないでしょう。回ってきても足腰立たない爺さんになっている可能性が高いですから、お役後免になると思います。

この一年半ほどの間、ホントに面白い経験をさせていただきました。公民館の建て替えもありましたし、町民運動会やら何やらで他の地区の人々と知り合いになる機会もできました。神社の例大祭に参加して直会(なおらい)で御神酒をごちそうになって、いろいろな人々の話を聞いたりするのもまた楽しいものでした。

正直に言うと、自治会長の順番が回ってくる前は「うわあ、会議に出たり、運動会の時の世話係をしたり大変じゃないか」としか思っていませんでした。しかし、どうせやるなら楽しんだ方がいいなと腹を決め、公民館の建て替えなんていう何十年に一回の出来事にあたるなんてラッキーなことだと思うようにしたら、本当に面白い経験の連続でした。「おもしろきこともなき世の中をおもしろくすみなすものは心なりけり」とは高杉晋作の辞世の上の句に野村望東尼が下の句を付けたとものだと言われていますが、まったくその通りで、いやいや務めても同じ2年。それなら楽しみながらやったほうがと気持ちを変えただけで、あっという間に一年半が過ぎたように思います。

なんだ、もともとこういうことは嫌いじゃなかったんだ、と自分でも新たな一面を確認できたように思います。世帯数が少ない、小さな自治会だということも幸運でした。毎月の集金常会にはほぼ全戸出席ですから、顔が分かる範囲の中で、この人たちのために仕事すればいいんだなという気持ちになれます。またいろいろと教えてもらったり手伝ってもらったり、こちらから頼んだりといったことも小さな自治会ゆえに割合すんなりと事が運んでいくところがあります。

自分がやったことの反応がすぐ返ってくるというのは、励みになりました。良くても悪くても無関心でいられるよりは反応してくれる方が張り合いがあるというものです。世のため人のため、なんて大上段に構えると大変な話になりますし、顔の見えないだれかのために頑張ろうというのはなかなか難しいものがあります。やはり具体的な身近にいる人たちのために、何か自分ができることをしていけたらいいなと思います。

なによりもこれはヤミつきになるものがあります。趣味、道楽というものはカメラにしろ釣りにしろお金がかかるものですが、地域活動はあまりお金のかからない道楽です。好きでやってるのであれば多少の大変さは苦になりませんし、むしろご苦労様ですねえとか声を掛けられたときのうれしさで舞い上がってしまう、このおっちょこちょいさ加減と長屋の花見みたいな落語的なノリが続く限りはなんとかなるのではないかと思います。

というわけで、自治会長の任期はあと少しですが、地域計画策定委員会の委員に推薦されてしまい、しばらく「立ち話」のネタは続きそうです。住んでいる市の行政区の区長さんに「委員に推薦しといたから会議よろしくね」と急に言われ、「えっ!夜の会議はほとんど出られないんですけど、いいんですか?」と確認すると、「出られるときでいいからさ、まずは」という話。十年後どういう姿の地域社会に住みたいかということを念頭に置いた地域計画なのだそうです。面白そうなので引き受けることになりました。少なくとも平成22年度まではいろいろと会合やらなにやらがあるようで、当分退屈せずにすみそうです。

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2008年10月20日 (月)

money, money, money

「先生、サブプライム問題って何ですか?」「え、一言じゃあ説明できないなあ」「ややこしいんですか?ていうか、先生、ホントに説明できるんですか?」「な、な、何を言うか…」

というわけで、家に帰っていろいろ調べてみましたが、分かったようで分かりません。なにせ、私、経済のことは皆目分かりません。ナニナニ、信用度の低い人向けの住宅ローンって、どういうことよ。信用度が低かったら、そもそも住宅ローンなんて組めないじゃないの。え、組めるようにしたわけ?で、そのリスクは誰が取るの?ん?ん?債権を証券化してさまざまな金融商品にした!?で、だれが儲かるわけ?ああ、金融機関が儲かるのか、なるほどね。

でも、肝心の住宅バブルがしぼんでしまって、ご覧の通りアメリカ発の世界規模の金融危機になってしまったということですか。というか、もともと信用度の低い人たちを対象にしてローンを用意して住宅バブルを起こしたわけだから、実体のないところでマネーゲームを展開していたのが、一気に足下をすくわれたということなのでしょうか。

バブルの語源になったのは、英国の南海株式会社という18世紀の株式会社が、南米との貿易の独占権を政府国債の引き受けの見返りに認められ事業の実体がないのに株価が急騰し、われもわれもと投資に走った人々が大暴落で損害を被った事件だそうで、「南海泡沫株事件」から来ているのだそうです。詳しくはこちらをどうぞ。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050831

おなじブログに出ていますが、世界で最初に起きた典型的なバブルはオランダのチューリップの球根バブルだという話です。なにせチューリップの球根1個に平均的労働者の年収の10倍もの値段が付いたということですから、驚きです。当然ある日価格が暴落し、多くの破産者を生み出し、世界経済の中心はオランダからロンドンへと移ることになったそうで、恐るべし球根バブルです。

ともかくご存じのようにアメリカとヨーロッパの各国政府が公的資金(つまりは税金ですが)をつぎ込んで金融危機を乗り切ろうとしているわけですが、株価は乱高下し、1929年の大恐慌の再来かと騒がれております。リスクの高い債権を金融商品化し、他の金融商品と複雑に組み合わせて取り引きできるようにしたのは、良くも悪くも金融工学の発達のおかげだと専門家がテレビでおっしゃってましたが、これだけ世界規模で影響を受けているのはどこにどれだけ不良債権がまぎれているのか分からないという不安心理が拡大しているからなのでしょう。ノーベル化学賞を受賞したオワンクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と研究が、医療現場で大いに役立っているということはご存じの方も多いかと思います。ガン細胞やアルツハイマー病の細胞のマーカーとして付けられるこのGFPのようなものが、各金融商品のリスクの高い債権に付いていればよかったのでしょうけど、どこまで連鎖するか分からないというのが怖いところです。

そもそもお金というのは何なんでしょうね?これまで単純に価値の交換手段であり、価値の貯蔵手段であるという古典的な定義しか知らなかったのですが、お金がお金を生み出す、つまり利子が利を生み出すという金融の仕組みについていかに自分が無知であるのか今回の金融危機でよく分かりました。若い頃にもっと経済の勉強をしておけばよかったなあと痛感します。

たぶん生徒に今一番欲しいものは何ですか?と質問するとほとんどの生徒が「お金」と答えると思います。大人に聞いても大半の人がそう答えるかもしれません。私もお金は欲しいですが、なぜ誰もがお金を欲しがるのか。そりゃあお金があれば何でも買えるから、やっぱり世の中お金でしょう、という答えが返ってきそうです。でもなぜお金で物が買えるのか。これをきちんと説明するのは実は大変なことではないかという気がします。昔のように兌換紙幣で金(ゴールド)が紙幣の価値を保証していた時代であれば比較的話は簡単ですが、管理通貨制度のもとでの紙幣というのは、その価値を政府が保証している(あるいは、政府と中央銀行?この辺よく分かりません)わけですから、早い話が政府が保証できなくなればただの紙切れです。そうでなくても政府と中央銀行が通貨量を増やせば簡単にお金の価値が下がり、インフレになることから分かるように絶対的な価値ではないのですが、ほとんどの人がこの「お金」のために振り回されてしまいます。

拝金主義というのは趣味の問題としても好きになれないのですが、さまざまな「格差」や「不均衡」のあるところに利が生まれるわけですから、お金お金と利を追いかけることは一方で「格差」や「不均衡」の拡大に一役買っていることにもなるのではないかと思います。つまり自分が豊かになればどこかでだれかが貧しくなる、そういう構造の世界にわれわれは生きているということです。勝ち組負け組などという貧相な言葉で片付けて済む問題ではなく、どうしたら豊かさをシェアできるか、どうしたらだれもが豊かになれるのかと真剣に考えなければならないのではないでしょうか。一生懸命働いているのに豊かになれない世の中はやはりおかしいと思います。

宮沢賢治の「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という言葉は現在の世界にもそのまま通用します。若い頃にもっと経済を勉強しておけばよかった、と書きましたが、これからの世の中を良くしていく中心は今中学や高校や大学で学んでいる君たちの他にはありません。どうしたらいいのかという新しい経済の枠組みを作る経済学、あるいは経済哲学を打ち立てるような若い人が出てくることを切に願っています。日本語の「経済」という語は、もともとは「経世済民」つまり世の中を治め人々を救うという中国の古典の用例からきています。本来はエコノミーの意味合いより政治経済的な意味合いを持つ語だったようですが、この本来の「経世済民」を志として経済学を学ぶ人材が育たないと世の中は良くなっていかないと思います。

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