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2008年7月 1日 (火)

丸山健二『日と月と刀』読了

4月30日投稿の「今日は二番煎じです」の記事
http://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_ca29.html
で取り上げた、これから読んでみようと思う本の中で、やっと丸山健二の『日と月と刀』(文藝春秋)上・下を読み終わりました。

何年か前に『虹よ、冒涜の虹よ』を読んだときに腰をぬかしそうになるほど驚き、これは小説以外では表現し得ない世界だと思い知らされ、なぜこの作品がセンセーションを引き起こさなかったのか不思議でなりませんでした。

丸山健二は23歳で芥川賞を取り、これは綿矢りさが登場するまで芥川賞の最年少記録だったそうですが、以来「孤高の」という形容がこれほど似つかわしい人はいないくらい中央文壇と距離を置いて執筆し続けてきた作家です。

しかし私が最初に丸山健二を知ったのは、小説を通じてではなく、オフロード・バイクであちこち回った様子を写真とともに紹介した雑誌の紀行文でした。最初に読んだ単行本は妹が持っていた『私だけの安曇野』というエッセイ集で、その次も同じくエッセイ集の『イヌワシ讃歌』という文庫本。このエッセイ集は印象に残っています。丸山健二という人物の名前はこの『イヌワシ讃歌』によって、しっかり頭の中に刻み込まれたと言ってもいいくらい強い印象を残しました。イヌワシのような生き方、決して群れない生き方というのは、丸山健二自身の生き方でもあるのですが、私もその考え方に強く惹かれました。

ただ、小説はなかなか手にしないまま長い長い年月が過ぎ、ある時たまたま移動図書で目にした『虹よ、冒涜の虹よ』というタイトルと「丸山健二」という懐かしい名前に引き寄せられるように手を伸ばし、一読驚愕、唖然呆然、すごいすごすぎると衝撃を受けました。こんなとんでもない小説を書く作家が日本にもいたのか、というのが正直な感想です。そして、これは映像化不能だろうなあと思わずうれしくなってしまいました。安易に映像化され得ない、小説以外の形式では表現し得ない、そういう世界が展開されている小説でした。はっきり言ってこれは一つの事件であるのにも関わらず、なにゆえ世間ではこの作品が反響を巻き起こしていないのか、と思ったものです。まぎれもない傑作だと思います。

前置きが長くなりましたが、この『虹よ、冒涜の虹よ』の残像が強く脳裏に残り続けていたため、今回の『日と月と刀』の刊行を新聞で知ったときには、すぐに読まねばという意を強くし、やっと読了しました。

この作品も『虹よ、…』とは違った意味で小説の可能性を示し、小説でしか表現し得ない世界を描ききっている傑作だと思います。『日と月と刀』の方が映像化しようと思えばできないことはないかもしれませんが、絶対不可能なのがその文体の映像化です。最初は少し違和感を覚える文体でしたが、読み進めるにつれて、その必然性がひしひしと迫り、確かにこの文体以外の選択は有り得なかっただろうと納得させられます。そして推敲の跡すら感じさせぬ、丹念に彫琢された文章が文体と相まって作り出す独特のリズムは、読むに従って心地よさを増していきます。全く脈絡がないのですが、なぜか三浦雅士の『出生の秘密』(講談社・2005年)が持っていたリズムと似ているような感触を持ちました。三浦雅士が書いたのは評論なのですが、同じように推敲の跡を感じさせない丹念に磨かれた思考と言葉が醸し出すリズムは、停滞することもなく弛緩することもなく、心地よい緊張をはらんだまま最後まで維持されていきます。

両者に共通しているのは、時間をかけて丹念に仕上げられた作品であるという点です。刀剣の研ぎ師がゆっくりと、しかし小さな刃こぼれ一つ見逃さず時間をかけて刀を研ぎ上げるように、即席や付け焼き刃ややっつけ仕事では決して到達できない高みに上りつめています。どれくらいの時間がかけられたのか想像できませんが、少しずつ少しずつ慎重に書き進められ、丁寧に推敲され、さらに推敲され、研ぎに研いで磨きに磨かれて一点の曇りもない傑作として現前したような印象を持ちます。

物語の細部はこれから手にする方のために伏せておきますが、この『日と月と刀』を読んでいるときに、その文体から連想したのは古典の説話の数々です。丸山健二は相当数の古典を読み込んだのではないか、ということを思い浮かべました。それらを消化し血肉化し、さらに新しい小説世界を創造していくのに一体どれくらいの時間が費やされたのだろうかと想像すると、気が遠くなりそうです。しかもその作業が中央の文壇の流行りすたりと全く関係なく、こつこつと静謐の中で続けられたのだろうと思うと感慨深いものがあります。『イヌワシ讃歌』のころの丸山健二は、やはり変わらず健在なのだといううれしい確認でもあります。この人の衰えることのない創作への意欲が次にどんな世界を見せてくれるのか、それはこの上もなくスリリングな期待と言えるでしょう。

文学の衰退が叫ばれ、活字離れが何かにつけて大きく取り上げられますが、丸山健二の小説を読むと、小説の可能性もまだまだ捨てたものではない、どころか豊饒な世界が広がっていることが実感されるのではないかと思います。



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