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2008年6月 5日 (木)

古典の底力・その2

筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに

伊勢物語の「二十三段」(新日本古典文学大系の章段数による)の初めに出てくる歌です。歌の冒頭が「筒井つの井筒」となっているテキストもあるようで、新日本古典文学大系は後者になっています。

注釈によると「筒井」はまるく掘った井戸。「井筒」は井戸のふちを保護する囲いだそうです。その筒井の井筒の高さと背くらべした私の背丈も、今ではもっと高くなったようです、あなたと逢わないでいるうちに。という内容は高校の古典の教科書でご存じの方も多いのでは。

この章段、前半は幼なじみの二人が大きくなってもお互いを思う気持ちが無くなるどころかますますつのり、めでたく結婚することになるという話ですが、話のポイントは後半の結婚後数年経てからの方にあります。

当時は男性が女性のもとに足を運ぶ通い婚が一般的ですから、女性が男性の一切を世話します。親が健在なうちはよかったのですが、亡くなってからは経済的なうしろだてがないため、男性の世話が出来なくなります。男性はこの困窮した妻とふがいない暮らしをするよりは、と河内の高安郡に新たに通う所ができます。ところが、元の妻は非難がましいことも言わず男を送り出します。男は元の妻が他の男性を通わせているのではないかと疑い、河内へ出向いたふりをして庭の植え込みに隠れて見ていると、きちんと身なりを整えた妻が夫の身を案じ、

風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとり越ゆらん

風が吹けば沖の白波が立つようにけわしくさびしい立田山を、夜更けにあの人はひとりで越えていくのでしょうか、と詠むわけです。

それから男は河内へは行かなくなるのですが、時たま訪れてみると、直接自分の手でしゃもじを取ってご飯を盛る高安の女の様子を目にして嫌気がさし、通うのをやめてしまいます。古典の教科書では、だいたいこの辺までで話がおしまいですが、実はまだ続きがあります。河内の女性から

君があたり見つつを居らん生駒山雲なかくしそ雨は降るとも

あなたのお住まいの辺りをずっと見続けておりましょう。雨が降ったとしても雲よ生駒山を隠さないでください。こう詠んで寄こしますが、男はそちらへ行こうと返事はするものの実際に訪れることはなく、あてにはしないけれど恋しく思っておりますという女からの歌が最後になってこの章段は終わりになります。

この伊勢物語第二十三段の「筒井筒」と同じようなパターンの話は、実はよくあり、二人妻説話とか歌徳説話と言われる類型に入るそうです。たしか大和物語にも似たような話があったはずで、そちらでは新しく通い始めた妻(都から来た若い女性)のところで鹿の鳴き声を耳にして、山の鹿も相手を慕って鳴くのだなあと言うと、鹿のことを「煮ても焼いてもおいしいもの」とゲンナリするような反応が返ってくる。もとの妻は「私もあなたのことを慕ってしのび音に泣いております」というような歌を読む。この歌のやりとりから結局男はもとの妻のところへ戻っていくというものです。

現代短編小説にも通じるような展開を見せるのは、堤中納言物語に入っている「はいずみ」という話です。この話でも男は若い女性のところへ新たに通い始めるのですが、ある時、知らせもせず訪れてみると大あわてで少しお待ちくださいとすぐには通してくれない。女性は、男が訪ねてくると思っていなかったので何も準備をしておらず化粧すらしていない。大急ぎでまず化粧を始めるのだが、暗い中で化粧を始めたため白粉(おしろい)と「はいずみ」(まゆ墨)をまちがえて顔中に塗りたくってしまう。おまちどおさま、という女の顔を見ると墨を塗りたくった中に目だけがキョロキョロしているというありさま。男は「また来る」とだけ言い残して帰ってしまい、婿がすぐに帰ったと聞いて女性の両親も部屋にやって来るが、墨で真っ黒の顔を見て腰を抜かしてしまう。陰陽師がよばれたりして大騒ぎになるけれども、女性の涙で墨が少し落ち始め一件落着となります。

フェミニストの方には不評だと思いますが、確かに男性に都合のいい展開です。女性の立場はどうなるの?と詰め寄られると、ま、ま、そうお腹立ちなさらずに…としか言えません。ただ、この二人妻説話の類型というのは、案外現代のドラマ設定などにも下敷きとして使えるのではないかという気がします。特に零落するもとの妻への同情と、最後にもとの妻が幸せになるという結末は安定した構図を提供するのではないでしょうか。

どなたか、現代風にアレンジして全く新しい話を作ってみませんか。

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コメント

ご無沙汰しておりました。ブログでも書きましたように、我が家の末娘のキラが犬猫病院に緊急入院という事態になり、ばたばたしておりました。動物病院の看護により無事危険を脱し、さっき退院してきたところです。
陸奥話記の配信ありがとうございます。今度はパソコンが万一の場合に備え、対処していきたいと思っています。
伊勢物語二十三段、実に人間的というか現代的というのか、源氏物語もそうですが、人間の恋物語は500年や1000年の歳月で、どう変わるものでもなさそうですね。やっぱり男は移ろいやすきものですな『・・・笑い』

(学び舎主人)
こちらこそ、配信が遅くなって申し訳ありません。
伊勢物語だけでなく、古典に描かれた人々の心の機微は、年月を経てもあまり変わらないようです。それが古典の面白さなのかもしれません。

投稿: KANEDA | 2008年6月 9日 (月) 12時57分

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