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2008年5月 1日 (木)

偽書『東日流外三郡誌』

今日もお気楽に読書ノート代わりの記事です。

タイトルの『東日流外三郡誌』を見て、「つがるそとさんぐんし」とよめたアナタ、そうアナタです。もうとっくに偽書と相場が決まっているものを、何を今さらと思っていませんか。そうです、何を今さらなんですよ。

この「戦後最大の偽書事件」といわれる『東日流外三郡誌』真偽論争については、擁護派、偽書派双方の書籍・記事が数多く世に出され、結局は偽書だったということで落着しています。ですが、詳しい事件の経緯と、この偽書事件の中心にいた和田喜八郎という人はどういう人物だったのか気になっていました。

つい先日、斉藤光政氏による『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物往来社、2006年)を読んで納得し、なおかつ非常に面白い本でしたのでご紹介したいと思います。斉藤氏は現在東奥日報社編集委員で、この事件の発端から落着までの全てを報道してきた方です。偽書をめぐる騒動の当事者と言った方がよいでしょう。

斉藤氏はある民事訴訟の取材から偽書の存在を知り、そこから延々と続く不毛な偽書論争に巻き込まれて行くわけですが、その経緯を紹介しながら和田喜八郎という特異な人物の姿を浮き彫りにしていきます。古物と古文書を結びつけると商売になるという話は、はじめて知りました。この延長に偽書事件があり、単なる偽書騒ぎで済まなかったのは、この偽書を元に地元の行政組織やら神社の氏子総代会がだまされてお金を出しているという事情があったからです。よく詐欺事件として訴えられなかったなと思います。損害賠償を請求されても不思議ではなかったはずですが。

しかし、なぜ偽書が生まれたのかまとめた第十二章で、中央政権に征服された「まつろわぬ民」としての東北人の歴史的コンプレックスがこの事件の背景にあるという指摘にはドキリとしました。「この本(偽書のこと:小林注)によって東北の主体性を確立することができると感奮した人々があったとしても、彼らの錯誤を笑う気にはなれない。そうした東北人の心情をたくみに利用して、次から次に偽書を流布して人々を手玉にとった悪徳の行為を許すことはできないが、それに踊らされた善人たちについては、一片の同情を禁じ得ない」この民俗学者谷川健一氏の引用に的確に要約されていると思いますが、東北人として分かる心情のあり方です。

最後に引用された、偽書事件を追及し続けた元産能大学教授、安本美典氏の言葉も印象的です。「私たちは、ともすれば、優しい心をもつ。だれに対してでも、優しくありたいと願う。そして、ともすれば、常識性のなかで、ことを判断し、処理したいと願う。できれば、あらそわずに、事をおさめたいと願う。しかし、この優しい精神は危険である。常識性を、はじめから無視する人、あらそいを厭うよりもむしろ好きな人は、この優しさに乗じて、人心を支配する。優しさのゆえに、沈黙してはならない。独断と、歪曲と、ゆえなき批判攻撃とに、真実にいたる道をゆずってはならない」

地域おこしの一環に、さまざまな歴史的事柄が利用されることもあるかと思われますが、つくづく慎重に用心してかかることが必要なんだなと感じます。話題性のために十分に検討しないで飛びつくと、高い代償を払うことになるという教訓は心して聞くべきでしょう。


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コメント

連続の投稿、失礼いたします。

東日流外三郡誌、図書館にも綺麗に並んでますね。
お金絡みとは思いもしませんでした。

著名な作家の方も、東日流外三郡誌を参考資料の一つにして歴史小説を書き上げてしまい、苦情?が来たと聞いたことがあります。

和田喜八郎氏、何者なのでしょう、ちょっと気になります。


(学び舎主人から)
コメントありがとうございます。この『偽書「東日流外三郡誌」事件』も北上図書館の本ですので、よかったら後で借り出してみて下さい。なるべく早めに返却しておきますので。

投稿: ちびやまめ | 2008年5月 2日 (金) 10時49分

東北の古代史の捏造問題を見ていく時、小林先生が指摘するように中央に対する文化コンプレックスが、一番の要因になっているように思います。しかしよく考えてみれば、我が東北にも縄文文化やアイヌ文化などの自然と調和したすばらしい芸術的文化があったわけで、単に政治力に屈してしまった世界の多くの文化同様、東北の民は、支配という暴力に自分達の価値観を略奪された犠牲者だと思います。


(学び舎主人から)
いつもコメントありがとうございます。
青森の三内丸山遺跡のように、縄文時代にあれだけの文化を持っていたということにも目を向けるべきなんでしょうね。若い世代には、歴史と自然の豊かな北国に生まれたことを誇らしく思ってほしいです。

投稿: かねごん | 2008年5月 3日 (土) 10時11分

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