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2008年2月14日 (木)

光と闇

吉野弘さんに「顔」という詩があります。

   樹木の根のように
   闇を抱く営みが人間にもある
   樹木の梢のように
   光を求める営みが人間にもある

   光と闇に養われる人間は、しかし
   光と闇を公平に愛する術を知らぬ
   崇高でも醜悪でもない僕らの顔は
   こうして出来たのだ

   樹木は裸。胴も腕もあらわだが
   顔はない。顔を持たない気安さで
   周囲や自分と和解するのか

   樹木の顔とおぼしいあたり
   青い冬空の
   冷たい休らぎが漂っているばかり

短い詩ですが、第一連と第二連を何かの折にふと思い出します。

光と闇は聖と俗、天上と地上などと他に言い換えができるのかもしれません。ことわっておきますが、私は特定の宗教や信仰は持っていません。現代の日本社会に生きている大多数の人がそうであるように、正月は神社に初詣に行き、お彼岸やお盆には墓参りに行きます。クリスマスが来ればツリーを飾り、ケーキを食べという汎宗教的環境と言いますか、八百万の神様状態の中で信仰心など毛ほども持たないバチあたりです。

ですが、特定の信仰は無くとも、人間の営みを越えた大きなものの存在は漠然と信じています。落語の世界で言えば「お天道様」というやつです。一人一人の人間は現実の中では、時に卑小であり、欲やら俗情やらに突き動かされて日々を送っていますが、それでも人間を越えた何者かへの畏敬の念を覚えるときがあります。

このところ、毎日のように三代目桂三木助さんの「芝浜」を聞きながら、風景描写の美しさとともに主人公の魚屋、勝五郎(と書くのだと思いますが)の姿に心動かされています。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、ざっとこんなお話です。

主人公の勝五郎は腕のいい魚屋ですが、酒好きで仕事を怠けがちの男。ある朝、おカミさんに「浜へ仕入に行っとくれよ」と送り出されますが、おカミさんが一刻まちがえて早く送り出したため、浜へ着いたものの魚問屋が一軒も来ていません。勝五郎はブツブツぼやきながら、浜辺で顔を洗い、日の出を仰ぎます。そこへ波間に漂う真田紐が目に入ります。その先には八十二両入りの財布。拾い上げた勝五郎はあわてて長屋へ帰り、これで当分遊んで暮らせると大喜び。昨夜の酒が残ってんだろと、ひとしきり飲んで眠ってしまいます。ところがおカミさんに起こされてみると「浜へ行っておくれよ」という科白。何を言ってやんでぇ、八十二両があんだろう、と食ってかかると「何を夢見てるんだよ、この人は。八十二両なんてお金なんかありゃしないじゃないか」と、財布を拾ったことが夢だと言われます。おカミさんに諭された勝五郎は、「おっかあ、分かった。おれぁ、酒やめるよ」と仕事に精を出すようになります。表通りに小さな店を開き、使用人もいる魚屋の主になった三年後の大晦日、おカミさんから浜で拾った八十二両の入った財布を前に、夢でなかったことを告げられます。三年もお前さんをだましていて悪かったと、おカミさんは謝り、お詫びの意味も込めて勝五郎に酒を勧めます。一旦は口元へ持っていきますが、「いや、よそう。また夢になるといけねえ」でサゲになります。

この噺はいろいろな落語家の方が高座にかけていらっしゃると思いますが、三代目桂三木助さんの「芝浜」は、風景画を見ているような美しい情景描写を味わうことができます。増上寺の鐘が浜辺に響き、いい鐘の音だなぁと聞きながら一刻早いじゃねえかと気付くわけですが、夜明け前の浜で顔を洗って見上げると、空の色が刻々と変わっていきます。一色でない空の色の描写に続き、陽が昇り、パンパンと柏手を打って「お天道様、また魚屋を始めますんで、どうぞよろしくおねげぇします」と勝五郎が頭を下げます。

呑んだくれで怠け者の勝五郎が、闇から光へ向かって歩き出す瞬間です。ところがその次の瞬間に財布を拾い、また元の怠け者に戻りかけります。ですが、結局はおカミさんに諭され、好きな酒もやめて仕事に励むようになります。この勝五郎の一種の回心は、夜明け前の浜の情景に暗示されているのだと思います。

弱さや不安や劣等感や、その他もろもろの負の感情を抱え込み、自分の中にある闇の深さにおののくゆえに光を求める。求めずにはいられないのが人間という存在なのかもしれません。「崇高でも醜悪でもない僕らの顔」は、そうしてできていくのでしょう。「光と闇を公平に愛する術を知らぬ」ゆえに、絶え間なく揺れ動く自分と向き合わざるを得ないのかもしれません。勝五郎が朝日に手を合わせて祈ったごとく、闇に呑み込まれてしまわないように、光のある方へ歩いていけるようにと祈らずにはいられません。

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