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2008年1月25日 (金)

古典の底力・その1

伊勢物語の第六段にこういう話があります。

むかしある男が、妻とすることができそうもない高貴な身分の女を、長年言い寄ってやっとのことでひそかに連れ出すことができた。たいそう暗い中、芥川という川のほとりを連れていくと、草の上に降りた露を見て「あれは何」と女が尋ねる。男はそれに答えず、雷雨を避けるため一軒のあばら屋に女を押し入れて、夜が明けるのを待つ。しかし夜が明けてみると、連れてきた女は、中にいた鬼に食い殺されてしまっていた。雷の鳴る音にかき消されて、女の悲鳴が聞こえなかったのだ。
   白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを
あの人があれは白玉でしょうか何でしょうかと尋ねたときに、これが露ですよと答えて、その露のように私も消えてしまえばよかったのに。

高校の教科書で、伊勢物語を習った(あるいは習っている)という方も多いかと思います。古今集の代表的歌人で六歌仙の一人でもある在原業平の歌をもとに作られた、いわゆる「歌物語」系統の最初にくる作品です。「作り物語」系統の最初である竹取物語とともに、文学史上のポイントとなる作品だからしっかり覚えるように、と強調する古典の先生も多いはず。

おそらく教科書で習ったことがあるのは、「東下り」(八段)・「筒井筒」(二十三段)・「ゆく蛍」(四十五段)・「交野の桜」(八十二段)・「さらぬ別れ」(八十四段)あたりでしょうか。おもしろかったという印象をお持ちですか?それは結構なことです。私自身は、高校生の頃に伊勢物語をおもしろいと思ったことがありませんでした。特に「交野の桜」に出てくる惟喬(これたか)の親王(みこ)と右の馬頭(うまのかみ、業平のこと)のやりとりはチンプンカンプンで、何が一体おもしろいんだろうと思ったものです。

ところが大学の国文学講読の時間にこの伊勢物語を読んで、初めてその魅力が分かりました。業平の歌がいいんです、やはり。当たり前の話ですが、在原業平の歌がまず最初にあって、その上に物語が作られているのですから、歌のよさが前面に出てくるように構成されているわけです。中には歌と物語のバランスがあまりよくないと思われる章段もありますが、冒頭にあげた第六段のようにみごとに融合されたものも多くあります。

そしてそこに描かれた物語の持つ普遍性、つまりいつの時代にも通じるものが、現代に生きる私たちにも響いてきます。人の心や感情の機微は、時代が変わってもそう大きく変わるものではないんだなあ、ということです。冒頭の第六段については、坂口安吾という作家が「文学のふるさと」という評論の中で、シャルル・ペローの「赤ずきん」とともに触れています。興味のある方は図書館などで、冬樹社から出ている『坂口安吾評論全集1 文学思想篇Ⅰ』をお探し下さい。この坂口氏の評論も伊勢物語のよさを知る大事なきっかけになりました。

せっかく一緒になれたのに、白露のようにはかなく消えてしまった女性。失ってしまったものの大きさに呆然とする男。四十五段の「ゆく蛍」には、告白できず恋いこがれて死んでしまう娘の話が出てきます。亡くなってから娘の想いを伝えられ、男はぼんやりもの思いに沈みます。「さらぬ別れ」(八十四段)には、年老いて避けられない別れ(死別)が近づいているからぜひ会いたいという母親と、世の中に避けられない別れなどなければいいのにと答える息子の姿が描かれます。

こうして見ていくと、伊勢物語には喪失感や失意があふれています。よくよく考えると在原業平自身が藤原氏主流の宮廷にあって、低い官位に甘んじなければならなかった傍流貴族の一人でした。「交野の桜」に出てくる惟喬の親王も、文徳天皇の第一皇子でありながら、藤原良房らの圧力で皇位を継承できず出家隠棲した人です。

不遇であることや失意を抱えていること、喪失感をいだきながら日々を送るといったことは一般にはネガティブなものと受け止められがちです。はたしてそうでしょうか。必ずしもそうとは言えないような気がします。はかなさやもののあわれに感じる入る心性は、日本文化の底に脈々として流れ続けています。ここ数年、話題になった小説や映画の内容を思い出してみて下さい。いかに私たちが、もろくはかないものに共感をいだいているか、喪失感や失意に共鳴しているかよく分かると思います。

古典を読むことは、現代ではあまり意味がないことのように思われがちです。しかし、私たちのものの感じ方の源流に触れることは意味のないことではないでしょう。教科書ではおもしろくなくても、古典には深い底力が秘められています。

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コメント

古典文学に対する、先生の切れ味がほとばしるブログだと思いました。古典文学に興味を持つ学生が増えると思います。このシリーズもっともっと読みたいですね。よろしくお願いいたします。カネゴンでした。

(学び舎主人から)
コメントありがとうございます。古典に興味を持つ人が増えると、うれしいなと思い書いてみました。なんだかんだ言いながら私自身古典が好きなのだとあらためて思います。私の方からもリクエストですが、金田先生の宮沢賢治についてのブログの続きが読みたいのでよろしくお願いします。

投稿: 金田渉冶 | 2008年1月27日 (日) 21時20分

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