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2008年1月28日 (月)

坂口安吾の魅力

先日のブログに紹介した坂口安吾のことを書きたくなりました。

今、中高生の方で坂口安吾の名前を知っている方は、もしかすると限りなくゼロに近いのではないかと思います。日本文学に興味を持っている一部マニアックな方でないと、ご存じないかもしれません。

太宰治はどうでしょうか。こちらは知ってますか?『斜陽』や『人間失格』、『津軽』などをはじめ若い頃にだれしも一度は通過する作家と、かつては言われていました。読んだことがなくても名前を聞いたことはあるのでは。

その太宰治と同じ頃、戦後の文壇に登場した「無頼派」と呼ばれる一群の作家がいました。石川淳、織田作之助、伊藤整、高見順、田中英光、檀一雄に加えて坂口安吾がその代表です。文学史的には「新戯作派」と言った方がいいのでしょうが、通称とも言うべき「無頼派」で紹介します。

二十代の頃、私が深くはまっていたのは石川淳と坂口安吾と太宰治の三人でした。石川淳と太宰治については、機会があれば別の時に書きたいと思いますが、三人の中で一番影響を受けたのはもしかすると坂口安吾かもしれません。

坂口安吾は新潟の旧家に生まれた人です。代表作は評論の「堕落論」や「日本文化私観」と小説の「桜の森の満開の下」などです。個人的な見解ですが、安吾は評論の方が小説よりもすばらしいと思います。今の時代でもその明快な論議は一読の価値があります。初期の文学論の「かげろう談義」や前回紹介した「文学のふるさと」、宮本武蔵を取り上げて展開される「青春論」、太宰治の死の直後に書かれた「不良少年とキリスト」など、どれをとっても坂口安吾の魅力が十分に味わえます。

評論と書きましたが、安吾の書いたものは随筆と言った方がいいくらいノビノビとした議論です。八方破れのようでいて物事の核心をギュッとつかんだ文章は、天衣無縫な精神の自由さにあふれ、どこまでも青く広がる空を見上げているような開放感を与えてくれます。

安吾のふるさとである新潟にも行きました。ある会社のセールスマンをしていた頃です。出張でしたが、仕事はサボって安吾の文学碑がある寄居浜の西海岸公園を訪れました。11月ごろだったかと思います。天気がよく佐渡島が見えました。売店のおばちゃんが「あんた運がいいねえ。冬になると佐渡が見えるくらい晴れた日なんてめったにないよ。」と笑っていたのを思い出します。安吾には晴れた空しか似合わないな、と思いながら、安吾が帰省するたびに泳いだという寄居浜の海岸をぼうっと眺めていました。

小説では、何と言っても「桜の森の満開の下」につきます。安吾の小説は、評論や随筆の自由闊達さに較べると読み進めるのが苦しくなるような切なさを持っています。それは安吾が抱えていた孤独の深さからくるものかもしれません。安吾の孤独に触れることは同時に自分の抱える孤独に向き合うことでもあります。それゆえ評論や随筆のように気安く読めないような気がしたのかもしれません。しかし、この「桜の森の満開の下」は古典の説話の一つかと思わせるような美しさと恐ろしさが同居していて、珠玉の名作だと思います。たしか映画になり、山賊がさらってきた美女を岩下志麻さんが演じていたはずです。映画の方は見ていないので、これ以上は分かりませんが、小説は一読をおすすめします。評論や小説は「青空文庫」でも読めるようですから、以下のリンクからたどってみて下さい。

「青空文庫」作家作品別リスト 坂口安吾 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1095.html

梶井基次郎の「桜の樹の下には」という短編とともに、桜の咲く頃になると読みたくなる作品でもあります。

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