2023年4月11日 (火)

映画「幕末太陽傳」を観る

長年観たいと思いながらなかなか観る機会のなかった「幕末太陽傳」をようやく観ることができた。フランキー堺が主演で、落語の「居残り佐平次」を映画にしたようだということくらいしか予備知識がなかったのだが、予想以上に面白かった。

話の筋は単純で、落語の「居残り佐平次」を主軸に、長州藩士が御殿山の英国公使館を焼き討ちする事件が並行する。

「居残り佐平次」については以前書いたことがあるが、陽気な詐欺師で小悪党の佐平次が品川遊郭の大店に仲間を連れてさんざん飲み食いし、連れは帰して自分だけ居続けをする。そのうち一文も持っていないことがバレて布団部屋に押し込められるが、当人は持ち前のずうずうしさを発揮し、にわか幇間(たいこもち)となってひと稼ぎするという噺。

この「居残り佐平次」をもとにして、落語でおなじみの噺が随所にエピソードとしてさしはさまれる。ざっと気付いたもので、「品川心中」「五人廻し」「文七元結」「三枚起請」「お見立て」が挙げられるが、細かいものまで入れたら、まだまだあるのではないか。石原裕次郎演じる高杉晋作が、フランキー堺演じる佐平次のこぐ舟に乗り、佐平次から舟板の栓を抜いて沈めてしまいますぜとおどされて慌てるシーンなど「夢金」の船頭と浪人のやりとりを思い起こさせる。

つまりこの映画は徹頭徹尾、落語の引用からできていて、落語好きにはたまらないという夢のような作りになっている。もっとも、それゆえ話は単純で、ストーリーはあってもなくてもよいような扱いである。それよりも引用された落語の噺を映像化するとこうなるのかということを楽しめばよい。

特に「品川心中」で遊女のお染と心中する貸本屋の金造を小沢昭一が演じていて、これが落語の世界そのままのハマり役でおかしかった。しかも、落語ではお染に海に突き落とされた金造が遠浅の海で横になって溺れかかっていたことに気付いて悔しがり、ひどい格好のまま世話になっている親分の所へ顔を出し他の子分たちがびっくりする前半の噺でサゲにする場合が多いのだが、映画ではお染に仕返しをしに行く後半まできっちりと描かれていてエピソードが完結している。

それにしても、なぜ幕末「太陽」傳なのだろう。石原慎太郎の小説『太陽の季節』が「文學界」に載ったのが1955年、単行本となるのが翌1956年。映画「太陽の季節」も1956年封切。この映画は1957年封切。そういうことで「幕末太陽傳」を撮った川島雄三監督は、幕末の「太陽族」を描きたかったのだそうだ。まあ、石原裕次郎も出ていることだし関係があるのだろうなという気はしていた。

Wikipediaによると、フランキー堺が演じる主人公が走り去るラストシーンで、そのままスタジオを飛び出し、製作当時の現代の街並みを走り抜けるという演出構想を川島監督は持っていたようだが、現場の反対で断念したらしい。今なら、あまり抵抗なく受け入れられそうな案だが、当時では斬新すぎて理解されなかったのだろう。実現していれば、過去と現在は地続きなのだということを象徴するシーンになったと思うのだが。

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2023年4月 9日 (日)

永訣

三十年以上前に家庭教師として教えていた生徒が急死した。満五十歳。新聞の慶弔欄を広げたときに見覚えのある名前があり、喪主は亡くなった生徒の兄の名前になっていた。兄のほうも短い期間だが教えたことがある。

告別式や火葬の日時を確認してみると、告別式は無理だが火葬には出られると分かり、金曜の朝8時半に火葬場に向かった。受付でお悔やみを出しベンチに座っていると、まもなく受付の男性が「火葬が始まるそうですからどうぞ」と案内してくれた。

正面に飾られた遺影は、教えていたころの面影をいくらか残していた。ただ、当たり前の話だが、年齢相応に貫禄がついていて過ぎた年月を実感させた。焼香が終わり喪主である故人の兄があいさつをした。彼も昔の面影を幾分残していたが、やはりそれ相応に歳月の隔たりを感じさせた。

最後の別れのあいさつをして棺を炉台に移し替えるときに、私も棺の一端を支えた。遺族や親族が控え室に戻るとき、喪主である故人の兄に声をかけた。すぐに思い出せないようだったが「わざわざおいでいただきありがとうございます。」と丁重にあいさつを返された。

亡くなった元生徒は、中学2年から高校卒業までの五年間ほど教えた。週に3回くらいだったように思うが、かなりの時間を一緒に過ごしたことになる。口数が少ないおとなしい生徒だった。素直と言えばいいのか。父親が教育熱心で、兄弟二人とも父親が敷いたレールの上を歩いている感じだった。三十代になるかならないころだった私は、素直に親の敷いた道の通りに歩いている彼らに物足りなさを覚え、自分がどうしたいのか考えてみろと何度か話したことを覚えている。

大学生になった元生徒に一度だけ会ったことがある。高校時代の友人と正月にたまたま北上市内で酒を飲む機会があり、そのとき立ち寄った店で兄弟とその父親が一緒に飲んでいた。偶然の再会を喜び、近況などを聞き、私たちのほうが先に店を出た。すぐに後から元生徒が追いかけてきて「先生、忘れ物です。」と言ってライターを手渡してくれた。「それじゃあ、元気でな。」そう声をかけて別れたのが最後だ。あれから一度も会うことなく、再会したのが火葬場の遺影だった。

家庭教師として教えた生徒は数多くいる。記憶に残る生徒も多い。けれども折にふれてどうしているだろうかと思い出すのは、彼だった。何故なのかはよく分からない。このまま大人になって大丈夫だろうかと、中高生の彼を見て思っていたからかもしれない。どんなふうに生きていくのだろうかと気になる生徒だった。

それにしても五十歳で亡くなるとは。

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2023年2月14日 (火)

Bill Evans

スコット・ラファロがベースを弾いていたRiverside盤のトリオ演奏は、いつ聴いても眠気が吹き飛ぶような演奏だ。ピアノとベースとドラムスの作り出す張りつめた演奏空間。聴く者は自らの内側へといざなわれ、自分自身と向き合うことを求められる。ふと、これを演奏していた彼らはきつかっただろうなと思ってしまう。

ビル・エヴァンスの演奏はスコット・ラファロが早世してからのトリオでも基本的に変わらない。晩年に近づくほど装飾音が増え、ルノワールの晩年の絵を見ているような豊穣な音の散乱になってゆくが、ビル・エヴァンスのピアノの音はそれでも鮮烈だ。一度耳にしたらまちがえようもなく彼のピアノだと分かる。

すごい、と思ったのは東京でのコンサートを収録した"Live in Tokyo"での演奏だ。この時のベースはエディ・ゴメス、ドラムスはマーティ・モレルだが、一曲目からスタジオ録音ではないのかと思われるほど完璧なトリオの演奏が流れる。何度もライブ盤であることを確認したくなるくらい緊密な、美しい音のつらなりである。この緊密さで最後までライブ演奏している当人たちは、もしかしたら集中しすぎていて大変さなど感じていないのかもしれない。

ビル・エヴァンストリオの演奏はなぜ人を内側へ向かわせるのだろう。それはライブ演奏でもそうであるように、演奏者自身が内側へ内側へと集中していく姿勢を保っているからではないだろうか。若いころの写真を見ると、ビル・エヴァンスは鍵盤に顔がつきそうなくらい上体を傾けて弾いている。観客など眼中にないという集中度だ。そこからあの張りつめた美しい音が生み出される。

"Live in Tokyo"でも弾いているが"My Romance"は若いころから晩年に至るまで、何度も何度も演奏されてきた曲だ。どの年代の演奏を聴いても、それぞれいいのだが、晩年に近い、装飾音の増えた豊穣な演奏がなぜか耳に残る。隅から隅までよく分かっている曲に、それまでの演奏のすべてをつぎ込んでいるような不思議な感動を覚える。もちろん"Waltz for Debby"に収録されている"My Romance"はこの上なく簡素で美しい。そうではあるのだが、それに劣らず晩年のものもいいということだ。

そう言えば、"Waltz for Debby"というアルバムもヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ演奏だった。あまりに完璧な演奏なので、曲が終わったあとに入る拍手やグラスの触れあう音でライブだったと我に返る。いつ聴いても、これはこれで驚きだ。

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2022年9月16日 (金)

天高く

ここ数日暑さがぶり返し、まだまだ夏の気配が消えないが、それでも空を見上げるともう秋の空だ。何より窓を吹き抜けていく風の涼しさが秋の訪れを告げている。もう一、二週もすればすっかり秋の気配に包まれていることになるだろう。いつの年もそうだが、涼しさを通り越して寒ささえ覚える朝晩の冷え込み具合にふと気づくと、あの暑かった日々は何だったのだろうと思う。季節の移り変わりは早い。自然の季節も、人の生の季節も。

今年の夏は珍しく夏期講習の受講者が多く、予定していた時間枠がそれぞれほぼ埋まるという状態だった。少し予想外で、例年通り暇な夏期講習になるだろうからゆっくりしようかというあてはすっかりはずれてしまった。夏期講習が終わるとどうっと疲れが出た。目はかすむし、朝起き抜けの小便があまりに濃い色で血尿かと疑いたくなるほど疲労が一気に出た。これも今までには無かったことだ。その後徐々に疲れは抜けて、尿も普通になったが、ああ、年を取るというのはこういうことなのかとしみじみしてしまった。

気持ちの上では何も変わらない。だが、身体は正直だ。疲労がたまれば若いころのようには無理ができない。身体のちょっとした違和感は警告だと思って自重するに越したことはない。意識や気持ちは同じでも、身体的な「老い」から目をそむけることはできないのだとつくづく思う。

とはいえ根が極楽とんぼのお気楽者なので、喉元過ぎればなんとかで元の木阿弥。どうってことありませんよとヘラヘラして相変わらず不摂生な毎日を送っている。そんなふうにヘラヘラしていられるうちが花なのだろう。

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2022年7月 3日 (日)

最近読んだ本

このところ、しばらくぶりに小説などを読んでいた。忘れないうちに少しメモしておこうと思う。

1 ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』
2 中上健次『千年の愉楽』
3 武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』
4 桶谷秀昭『昭和精神史』

まず1の『薔薇の名前』から。ウンベルト・エーコのこの小説が有名になったのは何十年前のことだったか。中世の修道院を舞台にした小説がどうしてあれほど話題にのぼったのか、今となっては思い出すこともできないのだが、読んでみようと思ったまま数十年過ぎてしまった。

今回読んでみて、ああ高級推理小説だったのかと納得した。フランチェスコ会の修道士とベネディクト会の見習修道士が修道院を舞台に繰り広げる推理劇は、だれかが指摘していたようにホームズとワトソンのそれと同質の物語である。ただ「高級」と頭につけたのは、推理劇が進行する合間をぬって、中世の修道会と異端思想についての学術的とも言える蘊蓄が展開されるからである。ヤン・ガルバレクの『オフィチウム」をかけながら読むと中世修道院の雰囲気が彷彿としてくるのではないかと思う。確か映画にもなっているはずだが、そちらは未見。

2の中上健次の小説は、はっきりと覚えていないのだが蓮實重彦がだれかと対談している中で触れていて、そういえば『千年の愉楽』は読んでいなかったなぁと気づき読んでみたもの。いやあ、これはすごい。今の小説家でこんな濃密な作品を書ける人がいるのだろうか。中上健次が46歳で亡くならず今も健在で小説を書き続けていたらと幾度も思ったことがある。おそらく怪物のような巨匠になっていたのではないか。村上春樹とは対極の、濃密で地霊の声が響きわたるような重い世界を存分に繰り広げたことだろうに、と惜しまれる。

『千年の愉楽』は連作短編集で、舞台となっているのはおなじみの「路地」。オリュウノオバと呼ばれる産婆が語り手であり、連作をつなぐかなめともなっている。ここに登場する男たちはみなオリュウノオバがとりあげたのであり、高貴な一族の末裔とされ、若くして尋常ならざる死を迎える存在として描かれる。破滅へと向かうそれぞれの生の流れが奔流のごとく過ぎていく様は、一瞬のうちに消えていく流星にも似てはかなくも鮮やかだ。

3の『秋風秋雨人を愁殺す』は辛亥革命の起きる四年前に浙江で武装蜂起を起こそうとして捕らえられ、処刑された女性革命家秋瑾を描いた評伝である。渡辺京二が『近代の呪い』の中で、武田泰淳のこの作品に秋瑾が描かれていることを触れており、そのうち読んでみようと思いながら読んでいなかったものの一つである。

秋瑾は日本に留学し、孫文が組織した中国同盟会に加わり、浙江省に帰ってからは性急な武装蜂起を準備する。客観的に考えれば時機を待つほうが革命を成功に導く可能性が高いように思われても、秋瑾はただちに武装蜂起を起こす性急さを選び、こと破れて命を落とすことになった。行動の人であったということに尽きるのだろう。

同じ時期に日本に留学していた魯迅は、秋瑾と同郷の紹興の人である。

4の桶谷秀昭『昭和精神史』は、読んでいる途中である。昭和の精神史を二十年の敗戦までとそれ以降とに分け、前半の敗戦までを記したものがこの本である。この数年近代史の学び直しをする中で少しは理解しかけたところもあるので、この『昭和精神史』がとりあげている内容は実に味わい深いものがある。

農本主義の橘孝三郎についての記述や、二・二六事件の安藤輝三大尉についての記述など特に熟読玩味すべきだろう。永井荷風と川端康成についての記述も興味深いが、まだ半分近く残っているので、読了したら詳しく見直してみたい。

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2022年5月10日 (火)

初夏

一年の中でこの季節が一番いい。里山が柔らかな緑色に包まれ、パステルカラーで描かれた風景画でも眺めているような気分になる。少し経てばこの緑色がぐっと濃くなり、暑苦しささえ感じさせるようになる。若葉に覆われた柔らかな色合いの風景は今しか目にすることができない。

人の一生も同じかもしれない。新緑に包まれたパステルカラーの季節は長くない。それゆえ一層、その季節は束の間の輝きに彩られた、かけがえのない時間に見えてくる。ただ、それは過ぎてしまってからでないと気がつかない。その中にいるときには、逆に煩わしく憂鬱な時間でしかなかったりする。

もう自分が若くないという実感は正直なところ、まったくない。確かに若いころのように無理はきかない。目がかすんで字もよく読めない。少し草取りをしたくらいで体が悲鳴を上げる。けれども意識の上では、老いたとか若くないのだという実感がない。いつまで経っても意識は何も変わらない。昔と同じように相変わらず愚かなままだ。さまざまな事柄への好奇心も枯れることがない。

それでも、何かの折に過ぎてしまった時間の断片が心の隅をかすめていくとき、隔たってしまった時間の厚みにたじろぐことがある。それは戻ることができない時間の隔たりであり、おそらくこの先も現在の自分の時間に交わることがない時間の断片だと思われるからなのだろう。あのころ同じ時間を共にしていた人びとは、今どうしているのだろう。みなそれぞれの生をそれぞれの形で送っているのだとは思うが。啄木の歌にもそんな気分を詠んだものがあった。

    手套(てぶくろ)を脱ぐ手ふと休(や)む
    何やらむ
    こころかすめし思ひ出のあり

冒頭の二句「手套を脱ぐ手ふと休む」が鮮やかだ。隔たってしまった時間を何気なく思い浮かべるのは、まったくこういうときなのだ。何ということのない日常的な動作のすき間にふと「こころかすめし思い出」がすべり込むときがある。その思いはいつまでも後を引くものではない。現在の時間に大きな影響を与えるようなものではなく、淡いベールの向こうに霞んで見える、結晶化してしまった思い出だ。遠くからぼんやりと眺めるだけの、美しさしか残っていない時間。本当はその他もろもろの感情が付随していたはずのなのに、いつのまにか削ぎ落とされて芯しか思い出せない。

だが、それだけのこと。いつまでも振り返って過ぎ去った時間の中に立ち止まっているつもりはない。まだまだ先は長い。

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2022年1月10日 (月)

年が明けて

ブルーブラックのインクを水に落としたような空の下に、山ぎわの茜色が広がる。まだ少し明るい夕暮れ時だ。何ということのない少し早い冬の夕暮れ。寒気が薄れ、どことなくのんびりした気配の町並み。この冬の夕景色がこの上なく美しく見えるのはなぜだろう。おそらく幾たびも目にしたことがあるはずなのに、初めて見る光景のように感じるのはどうしてだろう。

冬期講習が終わり、今日は久々に生徒が誰も来ない教室。いや本当は一人来るはずだったのだが、どうやら欠席のようだ。連絡くらいしろよと思う一方で、たぶん今日は来ないかもしれないなと思ってもいたので、予想どおりであまり腹も立たない。

本当はこうして何もないときに片付けなければならないことがいろいろあるのだが、まあいいか、である。毎日次から次へと何かを片付けながら雑用に追われている。無目的にただ時間を過ごすという贅沢な時間の使い方が少なくなり、何かのためにこれをやらなければというチマチマした律儀さに縛られることが当たり前になっていた。何もしないということは、最大の贅沢である。

教室に置いてある読書用の肘掛けイスに座り、ノーマン・コーンの『千年王国の追求』を少し読みかけて眠気がさし、そのまま小一時間ほど居眠りをしてしまった。目を覚ましたときに一瞬自分がどこにいるのか分からず、窓の外にみえる外壁を眺めながらそうか教室で居眠りをしていたのかと気づくと、だんだん意識がはっきりしてきた。車で教室に来る途中も眠かった。あやうく居眠り運転しそうになるくらいだったのだが、さすがに運転中は眠りこけることもできず、教室でイスに座った途端に眠気がもどってきたものと見える。

昨年末にいくつか新しくなったものがある。長年使ってきた京セラのプリンタの調子が悪くなり、新しいプリンタをリースすることにした。同じ京セラのプリンタである。プリンタが搬入されるまで一週間以上間があったのだが、ふと、新しいプリンタのドライバが古いPCではインストールできないのではないかと気がついた。京セラのサイトで確認してみると、思った通りだった。どうするか迷ったが、この際PCも新しいものを用意することにした。が、新品というわけにはいかないので中古のノートPCでwindows10搭載のものを購入。これがHDDではなくSSD搭載のものだったので、起動もあっという間でHDDのモーターが回転する音もなく発熱もなく、中古とはいいながら、いやあいい時代になったものだ。windows10は初めて使うのだが、長年使ってきたwindowsXPとはさすがに使い勝手が違い、とまどう部分も多い。しかし、それも慣れの問題なのだろう。

こうして新しく用意しようと思い立ったのは、まだ六、七年はこの仕事を続けていこうと考えているからだ。六十五になったらやめようかと思ったこともあったが、できれば七十くらいまで体力と気力がもつのであれば続けようという気になっている。だから、もうしばらくは一番重要な仕事の道具は欠かせないと新しくしたのである。

プリンタもPCも新しいものに慣れるのは時間がかかる。試行錯誤であれこれやってみて馴染んでいくしかない。無意識に動かせるようになるまでは相当な期間が必要かもしれない。まあ、それもいいと思う。学ぶことはたくさんあったほうが退屈せずに済む。

年が明けても、実はさほど身辺は変わりがない。この歳になると、そんなものかもしれないが。

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2021年9月12日 (日)

慈雨のごとく

干天の慈雨のごとく、言葉が身体にしみ込んでくることがある。あれは、一体どういうことなのだろう。

すぐに通り抜けてしまう言葉や皮膚の表面を流れ落ちていくような言葉しか身の回りに存在しないとき、ふと頬にふれるかすかな風にも似た、ささやかではあるのだが清涼な言葉がすっと内側へしのびこみ奥深いところまで届いたりする。

こわれてしまいそうな繊細な言葉。孤独な魂の深い淵から、空へ向かってそっと放たれた言葉。その人の心の震えが伝わってくるような言葉。やすらぎとおおらかな開放感を感じさせる柔らかな言葉。あなただけがそうなのではく、わたしもあの人もそうなのだと支えてくれる言葉。断ち切るのではなく、つなぐために発せられる言葉。

ひとつひとつの言葉は質感も温度も異なるのに、それが身体にしみ込んでくると、自分の身体と心がどれだけ乾ききってぼろぼろになっていたか気付かせてくれる。わたしだってつらかったのだ。深く傷ついていたのだ。大声で叫び出したかったのだ。だけど、できなかった。いろいろなことが重なって、そうしたものを抑えなければならなかった。そのように目をそらしてやり過ごしてきたことが、少しずつ自分の内側を干からびた荒涼とした風景に変えてしまっていた。

しみ込んだ言葉は、干上がってしまったように思えた地表の下に流れる水脈を引き寄せる。そして、かつてあなたの内側に、青々とした麦畑や風が渡ってゆく草原がどこまでも続いていたことを思い出させる。麦畑はいつしか黄金色の海になり、草原には牛や馬があちらこちらで草を食んでいる。そのような豊かな光景があなたの中にも広がっていたのだと。

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2021年6月27日 (日)

1959年のアート・ペッパー

アート・ペッパーの演奏は1956年以降のものの評価が高いようなのだが、最近聞き直しているのが、1959年に録音された3枚のアルバムだ。録音順に「Art Pepper + Eleven」(Contemporary)、「The Broadway Bit」「I got a boot out of you」(ともにWarner Bros)。いずれもビッグバンド編成で、アレンジャーはマーティ・ペイチ。アート・ペッパーをフィーチャーした「マーティ・ペイチ楽団」という趣がある。

この3枚は有名なアルバムなのだが、今まであまり頻繁に聴いてこなかった。ワン・ホーンのカルテットかトランペットやテナーサックスの入ったクインテット、多くてもセクステットまでの少人数で聴くアート・ペッパーが一番だなあと思っていたので、ビッグバンド編成の中で演奏するペッパーには、あまり魅力を感じていなかった。しかし、よく考えてみれば、もともとはスタン・ケントン楽団のサックス奏者だったのだから、大人数の楽団で演奏する方が自然な姿なのだと当たり前のことに気付かされた。

1959年の3月から7月にかけてレーベルは異なるけれども、同じアレンジャーによる同じような編成で録音された3枚のアルバムは、連作とでも呼んだ方がいいほどの内容になっている。

演奏人数は「Art Pepper + Eleven」と「The Broadway Bit」が12名。「I got a boot out of you」が14名。共通する奏者も多い。アレンジャー兼ピアノのマーティ・ペイチと主役のアート・ペッパーが出ずっぱりなのは当然として、ドラムスのメル・ルイス、フリューゲルホーンのヴィンス・デ・ローザ、ヴァルブトロンボーンのボブ・エネヴォルゼン、テナーサックスのビル・パーキンスの四人も3枚に共通だ。つまりバンドの約半数は同じ面子ということになる。2枚共通だとトランペットのジャック・シェルドン、ピアノのラス・フリーマン、ベースのジョー・モンドラゴン、トランペットのアル・ポーシノ、トロンボーンのジョージ・ロバーツ、ヴィブラフォンのヴィクター・フェルドマン。実に12~14名のうち8~12名が重なっている。アート・ペッパーをフィーチャーした「マーティ・ペイチ楽団」と呼んだゆえんである。

楽曲としては「Art Pepper + Eleven」がジャケットに"A treasury of modern jazz classics"と銘打ってあるように、ガレスピーやモンクやパーカーをはじめホレス・シルバー、ソニー・ロリンズなどの曲が取り上げられ、楷書で書かれたようなきっちりしたモダンジャズに仕上がっている。「The Broadway Bit」はアルバムタイトル通りブロードウェイミュージカルのスタンダードナンバー。「I got a boot out of you」は半数がデューク・エリントンの曲でスイング感が半端ではない。

どのアルバムでもアート・ペッパーのアルトサックスが光っているのはもちろんだが、1枚目の「Art Pepper + Eleven」ではテナーサックスとクラリネットも演奏している。クラリネットの演奏が特にいい。アルトサックスのときのフレージングでクラリネットを吹いているので、音は柔らかいけれどもいつもの「ペッパー節」が聴ける。スローナンバーやバラードをアルトサックスで吹くときの音に似て、それよりもっと包み込むように柔らかなクラリネットの音はなかなか捨てがたい。

それから2枚目の「The Broadway Bit」は、ベース奏者があのスコット・ラファロである。1959年の後半にスコット・ラファロはビル・エヴァンス、ポール・モチアンとトリオ組むことになるのだが、それ以前の5月にこのアルバムでペッパーらと演奏していたというわけだ。

ちなみに1959年1月生まれの私は、これらのアルバムが録音された当時はまだ立って歩くことすらできない赤ん坊だった。自分が生まれた年の演奏をこうして楽しめるとは想像もつかなかったにちがいない。

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2021年6月19日 (土)

中村真一郎『頼山陽とその時代 上・中・下』(中公文庫)読了

やっと読み終えた。二十代に購入したまま三十数年以上「積ん読」状態だった三冊本の文庫を読み始めたのは何年か前のことだった。老眼がひどくなって文庫本の細かい文字を追うのが苦痛になり、数十頁で読みかけにしていたものを昨年から読み直してみると、これが無類におもしろかった。

何がおもしろかったのか。まず、中村真一郎が頼山陽を取り上げることになったいきさつである。頼山陽の病状に自分の患う神経症の症状を発見し、「同病相哀れむ」ではないが、他人事とは思えない親近感を抱いた。そこから丹念に山陽の日録的な伝記を読み込み、山陽の著作とその周辺の漢詩人たちの作品を渉猟し、山陽を中心に置いた江戸後期の漢文学見取図を中村真一郎は描き出していくことになるのだが、その発端となった親近感に妙にひかれてしまった。

この本の中でも何度か触れられるのだが、サントブーブの『シャトーブリアンとその文学的グループ』をお手本に、『頼山陽とその時代』も、山陽の生い立ちから始まり、父祖子孫、学問・文学上の師、弟子、友人、敵対者まで幅広く周辺人物が描かれ、最後に山陽の著述についての論評という構成は、まったく読み応えのあるものだった。学者の書く厳密性に裏打ちされた堅苦しい論文ではなく、実に親密な、サロンでお茶でも飲みながらゆるゆると語られる長い文学談義を耳にしているような心地よさがあった。

頼山陽という人物は、おそらく相当に偏った印象を持たれている存在ではなかろうか。幕末の志士に影響を与えた『日本外史』の作者というイメージが強すぎて、漢詩人としての山陽の持っていた側面や、晩年は幕府の学問所に招かれようかというところまで話が進んでいたという一面など、あまり一般には浮かんでこないのではないだろうか。中村真一郎描く山陽像は、画一的なこれまでの山陽像を一新し、江戸後期の漢詩人としての魅力ある姿を余すところなく描いている。

なぜ、この本をもっと早く読まなかったのかと悔やまれる。大学に入ってすぐのころに読んでいたら、間違いなく頼山陽の漢詩文を勉強しようと思ったはずである。漠然と江戸文学、日本漢文に興味を持ちながら、結局漠然とした興味で終わってしまい何事も探究しないままで終わってしまった。それは今思えば、核心となる対象を欠いていたからだ。怠惰に流れてしまった若い時間を惜しんでももはや取り返しはつかない。だから、後悔しても始まらない。そうではあるのだが、やはり、あの頃に読んでいたらどうだったろうと考え込まずにはいられない。

しかし、おそらくはあの当時読んでも、今と同じような感銘は受けなかったのではないかとも思う。書画や骨董品を品定めするかのように、次から次へと漢詩文に対する中村真一郎の目利きが繰り広げられるさまをおもしろがるには、自分も相応に歳を取らなければならなかったということなのだろう。若いときに読んでも、この本の面白みはピンとこなかっただろうという気がする。

それは、これまでも何度か引用して触れたが、人の生涯というのは可能性の中断された束なのではないか、という中村真一郎の認識に深い共感を覚えるからであり、自分もまた残りの手持ち時間が少なくなってきたと実感するからだ。無限にこの先の時間があり、ふんだんに惜しげもなく浪費できる若い頃とは感覚が違う。だから書物には若い頃に出会って深い感銘や強い影響を受けるものがある一方で、年齢を重ね経験を積んでからでなければ味わい深さが分からないものもあるということなのだろう。重ねて言えば、何度も読み返すものだってある。読むたびに新しい発見があり目を開かれるような書物がある。

だから買ったまま読んでいない、ずっと「積ん読」状態の本たちにもそれぞれの役割と意義があるのだと思う。もしかすると最後まで手をつけずに終わってしまう本もあるかもしれない。しかし、それはそれでよい。縁がなかったのだ、結局は。限りある時間の中を生きている私たちには、無限に本を読むことなどそもそもできない相談だ。本だけに限らない。映画でも、音楽でも、絵画でも、人でも、みな限られた時間の中で出会えるものは限られた範囲に過ぎない。出会うということの「縁」を大事にしなければいけないのだとつくづく感じる。

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