2017年4月28日 (金)

花の盛りを遠く眺めて・その2

フランスの大統領選挙でもNational Front(国民戦線)のマリーヌ・ルペン候補が決選投票に残り、5月の投票結果が注目されている。おそらくマクロン候補が大統領になるだろう。トランプ対ヒラリーの場合と違い、大きく差が開いているので逆転はないというのが大方の予想のようだ。たぶんそうなのだろう。

ここでも「右傾化」とポピュリズム(大衆主義)の組み合わせかと図式化してしまうと、もっと底流にある大きな動きを見落としてしまうのではないだろうか。従来のような「右翼」「左翼」という二分法では本質からそれた把握になりかねない。

対立の構図は、グローバリズム対国家主権主義(単純にナショナリズムといってもよいかもしれないが)なのであり、左右の対立なのではない。国境も国家主権もなくしていこうとするEUを信奉するグローバリズムと、EUの統合によって高まった流動性のあおりを受けて沈んでいく農家や労働者階級の反グローバリズムが衝突している。

これがスティーブ・バノンの言う「a global tea party movement」ということなのだろう。市場が統合され、通貨が統合され、「人・モノ・金」が国境を越えて自由に移動できるようになれば、もっと豊かになると言われていたのに、実際はその逆になった。ブリュッセルのEU官僚たちは選挙で選ばれたわけでもないのに自分達の暮らしを支配している。そういう大衆の不満が国家主権の回復を求め始めているということなのではないか。イギリスのEU離脱にしても同根である。

つまり、ヨーロッパでもアメリカでも、自由貿易とグローバル化の進展により豊かになると言われていたことが「ウソ」だったと感じている人びとが存在しているということなのだろう。グローバル化が進展すると、グローバル企業は安い労働力を求めて途上国へ生産拠点を移動する。移動した先の経済が発展し賃金水準が上がってくると、また安い労働力の得られる場所を目指して移動する。そこから二つの対照的な結果がもたらされるという。一つは、先進国の中産労働者階級の没落と失業率の増加であり、もう一つは途上国の貧困率の低下である。世界規模で再分配を行なっているような感じもするが、グローバル化には明暗が伴うということか。

しかし、グローバル化が止められない流れで資本主義社会の必然だとしても、グローバリストにアゴで使われるのは嫌だ。そう思う人びとが存在しても不思議ではない。グローバリズムは国家主権を超えて世界のどこでも同じように商売ができるよう、あらゆる規制を撤廃させていく。国内法を超越してグローバル企業に利益がもたらされる仕組みを精細に作り上げる。巨大な富を得るのは一部の人間であり、その他の人びとはそれに奉仕する存在でしかない。バノンはそういった人びとの反発を

… a center-right populist movement of really the middle class, the working men and women in the world who are just tired of being dictated to by what we call the party of Davos.

と表した。「the party of Davos」(ダボス会議の連中)の進めるグローバリズムによって、まじめに働いている中産階級の労働者は惨めな暮らしを強いられているじゃないか。エリートの官僚やウォールストリートの銀行屋たちが言っていることは「おためごかし」の嘘っぱちだ。額に汗して働いている人間が没落しているのに、ギャンブルまがいの金融ゲームに興じている連中は、しくじって大きな穴をあけても税金で埋め合わせてもらい自分の懷を痛めていない。こんなことでいいわけがないだろう。そういう声がトランプ政権の誕生につながった。

確かにポピュリズム(大衆主義)なのだが、そしてまた、それは「右翼」的なものと親和性が高いのでもあろうが、左右のイデオロギーによってではなく人びとの「感情」を揺り動かす要素がそこにはある。自国民の福利を優先的に考える自国第一主義のどこが悪いのだ。保護主義でいいではないか。貿易自由化が絶対的な善であると誰が決めたのか。他国の国民を潤すことより、まずは自国の国民が暮らしの心配をしなくて済むようにしてくれ。こういった大衆の「感情」は、エリートがもっとらしく述べる高邁な理想主義や理路整然とした経済理論より説得力がある。

問題は、そのように国家主権を守ろうとするナショナリズムは分が悪い、ということではないか。

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2017年4月27日 (木)

花の盛りを遠く眺めて

桜の花が満開を過ぎて散り始めようとしている。北国のここでは、いつもゴールデンウィークの直前に花の盛りが過ぎてしまう。ずっと昔、私が小学校に上がるくらいのころは「天皇誕生日」今の「昭和の日」あたりが見ごろだったと記憶しているが、この数十年でそれが繰り上がってしまったようだ。

花が散り始めようかという時期なのに、相変わらずヒマである。ヒマにまかせてぼんやりと何事か考えるのも変わりがない。例によって結論があるわけでもなく、無駄といえば無駄な行為である。しかし、生きるということは、必ずしも合目的なものばかりで成り立っているわけではない。何のためにこんなことを考えたりするのか分からないけれども、考えること自体が生きていることの同義語なのではないか。

といった前置きはさておき、何を取り上げようとするのか。過渡期にある世界の話。いったいこれから世界はどうなっていくのか。

アメリカの大統領にトランプが就任して以来、アメリカの政策はよく分からなくなってきた。特に主席戦略担当のスティーブ・バノンが、どうやらホワイトハウスの中で影響力を行使できなくなってきたらしいと伝えられるようになって、一層混沌としてきた。

スティーブ・バノンはアイルランド系カトリックの労働者階級の家庭に育ち、ゴールドマンサックスに短い期間勤め、その後映像作家としてドキュメンタリーを何本か作り(「右のマイケル・ムーア」と呼ばれているようだ)、「Breitbart.com」という右翼のたまり場のようなサイトを引き継いで主宰していた。「極右」「ファシスト」「レイシスト」「白人至上主義者」「性差別主義者」などなど、さまざまなレッテルが貼られている。

しかし、バノン自身の発言、たとえばバチカンで開かれた小会議にスカイプを通じてゲスト参加したときの発言や「Breitbart.com」の署名記事(共同記事も含めて)を読んでみると、レッテルに貼られているような過激なことを主張しているようには見えない。ただ、「Breitbart.com」のラジオ番組の中では過激な発言をしていたようでもあるし、彼が制作した「Generation Zero」というドキュメンタリー映画を見ると、確信犯的な強い思い込みがあるようだなあと感じる。ちなみに「Generaiton Zero」は大仰な雰囲気が全編に充満していて、最後まで見続けるのはなかなか骨が折れる。かなり偏った考えを持っているのだということはひしひしと伝わってくる。だが、それを先にあげたようなレッテルでまとめられるかというと、それは違うのではないか。

バノンに対する「極右」「ファシスト」「レイシスト」といったレッテル貼りは、彼が主宰していた「Breitbart.com」がalt-right(実態はかなり異なるのだが、アメリカ版「ネトウヨ」と乱暴に説明しておく)のたまり場となっており、過激な記事や発言が集積していることが原因となっているのだろう。

では、バノン自身の思想はどこにあるのか。ひと言で言えば、反エスタブリッシュメント。民主党・共和党の既成政党のどちらであるかに関係なく、ワシントンの支配層(ウォールストリートと結びつき、主流マスメディアを広報機関にしている)を攻撃し、「忘れられた人びと(白人の中産階級、労働者階級)」を主役にしようという考えだ。バノンは、エスタブリッシュメント側の資本主義を「crony capitalism」(「仲間内資本主義」とでも訳すのか)と呼ぶ。「state-controlled capitalism」(政府に管理された資本主義)と言い換えたりもする。端的な例として、2008年のリーマンショックのときに金融機関を公的資金(つまりは税金)で救済したことをバノンは挙げる。

ここから草の根運動の「ティーパーティー運動」への支持が出てくるのだろう。バチカンの小会議での発言中にも「a global tea party movement」という語句で、ヨーロッパのUKIP(イギリス独立党)やNational Front(フランスの国民戦線)その他の「中道右派」への共感が示されている。バノン自身が述べる「a global tea party movement」の簡潔な定義は、次のようなものである。

… a center-right populist movement of really the middle class, the working men and women in the world who are just tired of being dictated to by what we call the party of Davos.

まさしく大衆主義への共感ということなのだが、バノンが自身も含めてこのような勢力を「中道右派」と捉えているのは興味深い。バノンに対するのと同様、主流メディアではUKIPもNational Frontも「極右」というレッテルが貼られている。

バチカンの小会議でのバノンの発言と質議の全文は(こちら :英文)

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2017年4月 6日 (木)

春眠ぼけの頭でぼんやりと

新年度が始まっているが、ヒマである。昨日あたりから気温も急に上がり、うららかな春日という感じの一日だ。あまりにヒマなので、余計なことをぼんやりと考える。ぼんやりとだから結論も何もない。浮かんでは消える泡のようなものだ。

まずは2020年の大学入試改革から。センター試験が廃止され、代わりに実施される大学入学希望者学力評価テスト(いわゆる学力評価テスト)について、文科省の有識者会議の最終報告が出てから一年ほどになる。旺文社の教育情報センター(こちら)に紹介されている内容にざっと目を通すと、「知識・技能」だけでなく「思考力・表現力」を問う形の試験になるという。「記述式」も導入されるとある。

先日DMで送られてきたある塾情報誌の座談会でも、この大学入試改革に合わせて中学入試・高校入試が質的に変化していくということが話題として取り上げられていた。その座談会の中で、ある発言者が「こうした改革は、学力上位層の引き出しを考えているのではないか。」と見解を述べ、別の発言者が「下の学力層の生徒は、思考力・表現力と言われてもそれに対応できるような力が身についていないわけで、そのレベルには知識・技能の習得で手一杯の現状がある。」ということを補足していた。

つまり、二極分化しつつあるのではないかという現状がいっそう進行するだろうということだ。高校入試の開示請求の結果などを見ても思うのだが、学力検査で350点以上取る生徒と200点以下の生徒のどちらかしか来ておらず、かつてボリュームゾーンだった中間層がいなくなってしまった。「思考力・表現力」を伸ばすことを目標に置く生徒がいる一方で、それに取り組む前にまずは「知識・技能」をなんとかしなければならない生徒がもう一方にいる。

文科省が「地域貢献型」「特定分野の教育研究型」「世界水準の教育研究型」の三類型に国立大学を分けて運営費交付金を配分するとしたことが以前話題になったが、これも同じような流れの上にある話かと思ってしまう。

学力差があるのは現実だし、それをないものとするのは欺瞞だと思うが、制度設計からこぼれてしまう学力下位層の生徒に対してはどう手当していくのか。世界水準で海外の大学と対抗できる研究成果をあげられるような大学を日本にも作る。それはそれで結構なことだ。そのための選抜基準や要求される学生像のハードルが上がるのは、ある意味当然のことだろう。しかし、その対極にいる生徒にどのような力をつけさせるのか。下位層の生徒にも「思考力・表現力」や「主体的に協働して学ぶ力」を要求するのか。

「知識・技能」の習得の時点で問題を抱えている生徒をどうするのか。現状のように学年が上がるにつれてこぼれ落ちる人数が増えるようなシステムをどう変えていくのだろう。アクティブラーニングや情報端末の活用で、基本的な「知識・技能」の習得が大幅に改善されると見込んでいるのだろうか。学校の現場で実際に生徒に向き合っている先生方のさまざまな教育実践の蓄積はどうなっているのだ。まさか、それがアクティブラーニングと情報端末の活用ですということでもあるまい。多様な指導法の可能性があるはずで、アクティブラーニングや情報端末の活用もその可能性の一つでしかないと思うのだが、そういう考え方はもう時代遅れなのか。

 

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2017年3月17日 (金)

合格おめでとう

昨日16日は、公立高校の合格発表日だった。今年は受験校がバラけていて、全部で八校の合格発表を確認するのに二時間ほどかかったが、全員合格していた。おめでとう。

胆江地区は1倍を越えたところが水高と水沢商しかなく、他はすべて定員割れだった。しかし、倍率が1倍に届かないからといって手を抜く生徒はおらず、みな最後までしっかり準備をしてくれたことが何よりうれしい。

私立専願の生徒も例年になく多かったが、大学受験の高3生もふくめて全員志望校に合格したのは喜ばしい限りだ。いつもの年だと、高校受験は全員志望校通りだが、大学受験はうまくいかないケースの方が多かった。望むところに進み、自分が学びたいことを学ぶのが一番理想的なことなのだが、なかなかうまくいくとは限らない。それぞれの努力の賜物だと思う。

やらなければならないときにしっかりやるという姿勢を、これからも持ち続けてもらえればと思う。

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2017年2月11日 (土)

途中経過報告・その3

さて、最後に具体的な方法をお伝えしたい。

まず、12000語の英単語をどのようにして選んだか。最初は、以前に作っていた単語ノートがあり、ここに600語ほど覚えるものを見つけた。しかし、1日50語をノルマにすると二週間も経たないうちに無くなってしまう。次に目をつけたのは、ずいぶん昔に買ったまま「積ん読」状態のボキャブラリー読本。雑誌の「タイム」に出てくる語彙を1000語ずつ2冊のシリーズにしたものである。タイムの記事から抜粋が載っているのだが、レーガン政権時代の話題が出ていることから分かるようにもう三十年も昔の、タイムスリップしたような話ばかりだった。しかし、目的は英単語の確保なので、この二冊で四十日分くらいにはなる。

その次をどうしようかと考えた。まず思いついたのは、アルクという出版社から出ているユメタンのシリーズに確か12000語レベルまであったのではなかったかということ。そこでアマゾンなどネット検索をしてみた。そのときに、有志の方が12000語の単語を1000語ずつレベル1からレベル12まで一覧表形式にしてアップしたものを、たまたま見つけた。シンプルだが、単語カード作りにはかえってありがたい。発音記号がついていないのが惜しまれるが、それくらいは自分で調べろよなということで文句は言えない。

レベル1・レベル2は中学英語の単語が多いので、ここの分はほぼスルーして、まずはレベル3から覚えていない単語を拾い出しカードに写していった。レベル5だったかレベル6あたりから、これは1000語まるまる写したほうがいいなと感じ、残りはレベル12まですべて単語カードに写していった。これで先にあげた2600語と合わせてトータルで10000枚ちょっとのカードになった。12000語レベルといってもレベル1・レベル2の単語は飛ばしているので、それくらいの数でおさまったわけだ。単語のだぶりはかなりある。同じ単語を2回か3回カードにしたものもあるのだが、覚えていないのだから、まあいいかである。

あとはひたすらカードをめくる日々である。途中で何度か挫折しかかったが、そしてまた、練習しなかった日の分を翌日合わせて二日分覚えた時もあったが、とにかくカードそのものは10000枚以上の現物が手許にある。まだまだ覚えている途中であるし、忘却率も高いのだが、このあとしつこくダメ押しを続けていけば、うまくするとまる一年で、それがダメでも年末か来年の年明けくらいまでに完全に覚えきることができるのではないかと思っている。

とにかく公言するとよい。生徒にも「何やってるんですか?」と聞かれると、英単語を12000語覚えようと思っているのだよと事あるごとに吹聴し、カードリングに束ねた単語カードも目につくところに置いてある。こうすると適当なところで逃げられない。ひたすら覚えまくるしかないという事である。

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2017年2月 9日 (木)

途中経過報告・その2

昨日の続きである。

物事には、いい面と悪い面がある。まずは悪い面から。

この半年間毎日英単語を覚えることに時間を費やしてきたので、さぞかし効果があっただろうとお思いの方は、期待過剰というもの。2ヶ月後復習・3ヶ月後復習の際に忘却率が何%になるのか必ず計算しているのだが、これが毎回トホホな成績。忘却率が50%を切り、半分以上を覚えているということはごくまれで、大概50〜60%、ひどい場合は70%以上を覚えていないという悲惨な結果になっている。3ヶ月後復習の時は同じ単語の9巡目のはずだが、まったく意味が出てこない。まあなあ、もうじき還暦だし、記憶力なんて衰えていく一方だし、四割でも残っていればいいかと思うしかない。

そしてまた、この程度の単語量では、劇的に英文の意味が分かるようになりました、とはならないのである。多少読む速度が上がったかな、とか、字幕付き映画のセリフが少し聴き取れるようになった気がする程度のものだ。大学受験の高校生と試験問題を読んでいても、辞書を引いて意味を確認しなければいけない単語の数はさほど変わったような気がしない。昨日の記事に書いた英語学習のサイトとは別のブログに、「12000語をマスターすると、英文を日本文と同じように読めるようになる」と書いてあった。本当にそうか?そういう疑り深い考えで始めたからでもなかろうが、あまり変化がないような感じがする。もっとも四割しか覚えていないのだから、12000語レベルのはるか手前の単語力しか身についていないわけで、これが完全に12000語をマスターしたら、もしかすると日本文を読む感覚で英文が読めるという夢のような状態になっているのかもしれない。あくまでも途中経過報告なので、なんとも言いようがない。

実は12000語という単語レベルは、アメリカの小学校卒業時の単語レベルなのだそうだ。もうちょい甘くしてもせいぜい中1レベル。大学卒業レベルだと3万とか4万の単語数だという。ただ、実際のところ日常生活の中や新聞・雑誌をみて意味がわかるということであれば、12000語で足りるらしい。これだけ苦労して覚えてもアメリカの中1新入生かよ、と思うと脱力する。しかも、まだその四割しか達していないので、脱力を通り越して放心状態になりそうだ。

しかし、悪い面ばかりではない。まず何と言っても、間違えて覚えていた発音とアクセントを覚えなおすことができた。これは無数にありすぎて例がすぐに出てこないが、たとえば " via " という単語がある。 " via +地名 " で「〜経由で」などの用例が多い単語だが、長年この単語は「ヴィア」としか発音しないと思い込んでいた。ところが「ヴァイア」という発音があることを知った。これと同じように長年間違えて覚えていた発音やアクセントがゴロゴロしている。それを矯正できただけでもよしとしなければならない。

二つ目は、妙な単語が記憶に引っかかるという事実にあらためて気付かされた。たとえば、 " amble " という単語がある。馬術をやっている方はご存知なのだろうが、「側対歩」という同じ側の両脚を片側ずつ同時に上げて進む上下動の少ない、のんびりした馬の歩ませ方を言うのだそうだ。こんな単語はこれまで一度もお目にかかったことがなかった。こういう単語はなぜか印象に残る。馬に乗る場面のある小説などを読むときに役に立つのかもしれないが、普段はおそらくお目にかからないだろう。

三つ目は、これが一番大事なことなのかもしれないと思うのだが、自分も学習者の立場になると学ぶということがいかに大変なことなのかと実感できたことだ。知らないことを学んで覚えていくことは、楽しいことである一方で苦しい作業でもある。少しずつでも身についているという実感が持てれば、「楽苦(たのくる)しい」学びを続けていこうという気持ちの励みになる。逆に、成果が出てこないと投げ出したくなるものでもある。そういうことを実感として味わえたのが(今もまだ味わっている途中だが)収穫だと思う。

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2017年2月 8日 (水)

途中経過報告

前回からあっという間に二カ月以上が過ぎてしまった。月日が経つのは早い。

さて、この半年ほど新しい学びに取りかかっていたのだが、それは英単語を12000語覚えようという試みである。きっかけは例によっていいかげんなものだ。たまたまネットの語学サイトをあれこれと見ていたときに、偶然英単語のマスターを主目的に掲げた学習サービスを提供しているところを見つけた。その有料サービスを利用したわけではない。その学習サイトの主宰者が載せていたコラムが興味深かったので、じゃあ一丁やってみっかという軽いノリで始めてしまったということである。

そのコラムに書いてあったのは、記憶の忘却曲線に合わせて繰り返していく方法で、1日後・2日後・4日後・8日後・16日後・32日後で1サイクル。その後、2ヶ月後・3ヶ月後にまた繰り返すというもの。三カ月かけないと記憶が長期保存に移行しないのだそうだ。

そのサイトは、反復学習を効率的に進められるコースを有料で提供しているところだったが、私は、単語カードという一番費用のかからない原始的な方法でやってみることにした。「発音できない単語は覚えられない」とあったので、カードの表には英単語と発音記号を書き裏に日本語の意味を書いた。

七月下旬から始めて三月頃で12000枚目に達するようにしようと思い、1日50語をノルマと決めてスタートした。最初は順調だった。1日分の単語カードを作るのも、発音記号を調べて書くのが手間だったがなんとかこなした。日を追うにしたがって復習分の単語が重なってくる。1ヶ月ほど過ぎたときに最初のカードの32日後復習が重なり、一日のノルマが、復習分を合わせて350語になっていた。しまった、こんな数になるとは考えていなかった。というか、そもそも、まあ何とかなるでしょうというお気楽な考えで始めたので、現実にどういう状況になるのか想像力が追いついていなかった。しかし、この段階はまだよかった。

十月下旬に最初のカードが3ヶ月後復習を迎えた時からは、一日のノルマが450語という笑いの引きつるような数になってしまった。発音をするだけでも数十分。意味のチェックをするのに1時間はかかる。そのうえ新しいカードの作成がある。ほぼ毎日、英単語の消化のために時間を費やしていたようなものである。実際、この半年ろくに本も読んでいない。ときどき何のためにこんなことを始めたんだっけと疑問符が頭の回りをぐるぐる飛び回った。

しかし、である。やはりある程度お金をかけると「もったいない」というケチな考えが強くなる。市販のカードでは高くつくと思ったので、A4サイズの中厚口のカラー用紙を三色用意し、裁断機でカットして自前でカードを作り、二穴パンチで穴をあけ、カードリングに通して150語分を一組とした。32日後復習まで一巡し、2ヶ月後復習・3ヶ月後復習待ちのカードを束ねる径70ミリの大きなカードリングも用意した。最小限ではあるが、費用はかけている。これを無駄にしていいのか。このケチな思いのみでこの半年続けてきたような気がする。

どうも長くなりそうだ。この半年間のアレやコレやの屈折した思いがたまっているので、続きは次回に。

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2016年11月30日 (水)

久方ぶりの近代史ネタ

七月下旬から新しい学びに手を出し、近代史の学び直しは中断したままになっている。ときどき思い出したように、以前手に取った松本健一や橋川文三の本をパラパラとめくってみたりするほかは、中公文庫の『日本の歴史』を日課のように数ページ読んでいるだけだ。それでも関心のあることがらというのは妙なもので、忘れてしまっているわけではない。折に触れて一気に核心に迫るような興味を呼び起こすことがある。

『日本の歴史22 大日本帝国の試煉』を読んでいる時もそうだった。かつて存在した、日本の企業の家族主義の淵源が明治末期にあるということを知って仰天してしまった。大雑把な話になるが、日清・日露の戦争を経て日本は資本主義を確立していく。その過程で商品経済の浸透とともに農村共同体が動揺し始める。石川啄木が書いた「時代閉塞の現状」にも、日露戦争後の帝国主義化していく日本の社会に対する個人の不安が反映されていた。それまでの共同体から切り離された個人が、何を拠り所にすればよいのか分からない状態で放り出されている。そういう意識が社会の各層に蔓延していたと思われる。

そこにあるものは『日本の歴史22』によれば、「「臥薪嘗胆」のキャッチフレーズも「富国強兵」のスローガンも雲散霧消し、国民生活を支える国家主義的な価値の秩序が崩壊したとき、日本国民は全体として虚脱状態に陥った。」という、一種のアノミーなのであろう。明治維新の大目標であった「富国強兵」が日露戦争後に達成されてしまうと、もはや何を目指してよいのか明確な目標が無くなってしまった。そうした政治・社会の危機的状況を詔勅の煥発によって乗り切ろうしたのが「戊申詔書」だったが、上下一致や勤倹の教訓だけでは崩れ去ろうとするビジョンを支え切ることはできなかった。

こうして共同体から切り離された個人がぶつかったものが、一つは軍隊であり、もう一つは工場であった。

軍隊では不満や反抗が増大し、集団で脱営するという出来事が頻発する。また、除隊後の兵士が郷里に戻り「兵隊帰り」と呼ばれる粗野な存在として嫌われ者になるなどして、徴兵忌避の一因ともなっていた。

こういった状況を変えるため、田中義一は軍隊の在り方について新しい設計をした。『日本の歴史22』には以下のように述べられている。

軍隊の在り方について新しい設計をしたのは、日露戦争中、参謀として児玉総参謀長を助け、その将来を注目されていた田中義一である。かれは戦後第一師団に配属されると、そこで「良兵即良民」をモットーとし、軍隊教育の改善に着手した。かれの改革は「兵営生活の家庭化」と呼ばれ、「中隊長は厳父であり、中隊下士は慈母である。而して内務班に於ける上等兵は兄であるというように、中隊内の雰囲気を家庭的温情味のあるようにしなければ、真の軍の軍規は涵養できない」という基本方針の上にたっていた。
(『日本の歴史22 大日本帝国の試煉』中公文庫 347頁)

つまり下士の横暴に対する軍隊内の不満を解決し、同時に上官としての威厳を保たせ命令に服従させるための方策として、「親の恩情にこたえて子供が誠心誠意に仕える温情的家族主義」を軍隊に導入したというのである。

その結果はどうだったのか。同じ『日本の歴史22』を引用すると

こうして家族主義は、個人の自覚の目覚めにつれて動揺し、崩壊しようとするとき、愛情を軸として一転回することによって、個人の目覚めを家族共同体のなかに吸収し、家族主義を再編成することに成功したのである。  (同上 348頁)

同様の家族主義は雇用の場へも浸透してくのだが、長くなったので次回に。

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2016年11月16日 (水)

叔父の葬儀が続く

13日の日曜日に盛岡で叔父の葬儀があり出席してきた。父親の兄弟で一番末の叔父で、まだ八十前だった。今年は6月に父のすぐ下の弟にあたる叔父の葬儀があったばかりなので、葬儀が続いているという感じがする。

父親は男四人女二人の兄弟姉妹で、長男は二十年近く前に亡くなり、次女もだいぶ前になくなっている。今年叔父たちが亡くなったので、元気なのはうちの父親と大阪の叔母だけとなってしまった。

盛岡の叔父は、若い頃から豪放磊落な人で、細かいことにはこだわらない人だった。車と釣りが好きだった。私が中学生のころ、叔父がスポーツタイプのクーペに乗って遊びに来たことがあった。花巻の本屋さんまで乗せてもらい本を買いに行ったことがあったのだが、助手席のドアロックに不具合があり、ロックすると解除にならない状態だった。修理していないまま、叔父も私にそれを伝えるのを忘れていて、降りるときにうっかり助手席をロックしてしまった。叔父はあわてて「しまった!」という顔になったが、「まあ、そういうことだから、運転席側から降りてくれ」と運転席側のドアを開けた。それから知り合いの修理工場にすぐ車を持って行った記憶がある。

叔父のこういう大雑把なところが、私には救いだった。叔父といると気詰まりな感じがなく、なんだか妙に楽に呼吸ができるような気がしたものだった。

遺影の叔父は少し若いころの姿だった。叔父がいなくなってしまった実感はいっこうに湧いてこない。「よお、元気でやってるか」という大きな声が聞こえてきそうな気さえする。

葬儀の途中から雨となり、親族がまた一人いなくなるのだなというしみじみとした思いにとらわれた。その一方で、従弟妹たちの息子たちが元気に動き回っていて、こうして世代が変わっていくわけだと妙に納得してしまった日でもあった。

ちなみに葬儀と法要が行なわれたのは、天昌寺というお寺だった。かつて安倍氏の厨川柵があったと考えられている場所である。訪れるのは初めてだったが、こういう形で来ることになるとは思ってもみなかった。

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2016年11月 9日 (水)

風の電話

午後11時に帰宅し、遅い夕食を食べた後、ごろりと横になったらそのまま眠ってしまった。今年は早めにこたつを出しているので、ついつい気持よく眠ってしまう。午前2時をだいぶ過ぎたころ、つけっぱなしのテレビから誰かの話し声が聞こえてきて目が覚めた。ぼんやりした頭で画面に目を向けると、電話ボックスで誰かが話をしている。何の番組だろう。電話ボックスを出た男性の話が続く。静かなナレーションがそれに続く。

震災で家族を亡くした人がその電話ボックスから電話をかけているのだと、だんだん分かってきた。公園のようにも見える敷地の中に、緑色の屋根がついた白い電話ボックスがあり、そこに黒電話が置かれている。画面には別の人がボックスに入った様子が映し出されている。年配の女性だ。震災で無くなった夫に向けて受話器を取るのだが、ひと言も話すことなく受話器を置いた。

電話ボックスがあるのは、岩手県大槌町。東日本大震災で甚大な津波被害を受けた町だ。電話ボックスは私設で、おそらくボックスがあるところも私有地なのだろう。後から後から人びとがこの電話ボックスを訪れる。どこにも繋がっていない黒電話に向かって、人びとは抑えてきた思いを吐き出していく。

NHKスペシャルの再放送なのだと理解したころには、すっかり目が覚めた。あれからもう五年以上になる。けれども、身近な誰かを失った人びとにとっては、「まだ五年」でしかないのだということが沁みてきた。哀しみは時が解決するという。それは違うのではないか。いくら時が経っても哀しみが消えてしまうことはない。大事な誰かを失った人にとって、時間はそこで止まってしまうのだ。十年経とうが二十年過ぎようが、「思い」はいつもそこに戻る。決して癒されなどしない。ちょっとしたことで薄皮のようなカサブタがはがれ、耐えられない痛みがやってくる。

誰かに向かってその「思い」を吐き出せば、少しずつ生々しい痛みは薄れていく。消えてしまうことはないけれど、漂白された白骨のように、あるいは風雨にさらされた枯れ木のように、哀しみの核だけが結晶のように残っていく。けれども、外に向かって吐き出されることのなかった思いは、生々しい哀しみを内側に溜め込んだままとどまり続ける。

なぜ他の誰かではなくて自分がこのような目に合わなければならないのか。人が生きていくことは、理不尽な災害や災難に見舞われることと隣り合わせだ。なぜ自分なのかということに折りあいをつけていくことは、なかなか大変なことだ。合理的な説明などつけようがないのだから、どこかで断念するか飛躍するしかない。その断念や飛躍は、「思い」が外に吐き出された後にしか訪れないのではないか。

うまくまとめることができないが、そんなことを考えてしまう番組だった。

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