「家族」の物語
この数年、韓国ドラマと韓国映画にはまっている。何がきっかけだったのか、どのドラマや映画が入口だったのか、今となってははっきりしないがとにかくどっぷりつかってしまった。
歴史物も現代劇もどれをとってもおもしろい。何が一体それほど引きつけるのかよく分からないまま、ほぼ毎日韓国ドラマや映画を見てきた。最近になってどうやらその正体が分かってきたような気がする。
それは韓国ドラマや映画が「家族」の物語だということだ。血のつながった家族だったりつながりのない疑似家族だったり家族の形は様々だが、韓国のドラマや映画の中で「家族」の物語は重要な要素を占めている。家族愛だけではなく、家族間の近親憎悪も含めて家族とは何かを考えさせられる。李氏朝鮮の宮廷を舞台にした歴史物でさえ、王と世子(王の嗣子)や世孫(王の嗣孫)、あるいは王と王妃、王と側室をめぐる「家族」の物語なのである。
だから同じように家族のテーマを追い続ける是枝裕和監督が、韓国で「ベイビー・ブローカー」を韓国の俳優だけで撮ったこともうなずける。あの映画も疑似家族のような登場人物たちのロードムービーだった。仮に日本で日本の俳優だけで撮ったらどうだったろう。おそらくあの親密な空気は出なかったのではないか。同じ是枝監督の作品で言えば「万引き家族」も疑似家族だが、「ベイビー・ブローカー」の持つ感触とは異なる。それは日本と韓国の社会で「家族」の持つ意味合いが、個人にとって異なるからなのだろう。
家族との愛憎関係が稀薄になり、個人がばらばらに生きている日本と、愛憎ともに濃密な人間関係が残っている韓国との違いということなのかもしれない。だから韓国のドラマや映画を見ていると、自分が子どものころ見知っていた親密な空気が思い出されて引きつけられるのだと思う。
もう一つ引きつけられる理由を挙げると、喜怒哀楽の感情表現が豊かだということ。特に「泣く」ということが男女を問わず、よく出てくる。それから韓国語は罵倒語の表現の幅が広いようだが、怒りを表す場面もその表現が豊富だ。この感情表現の豊かさも、家族の場合と同様、人間関係が稀薄になりあまり感情を表に出さない日本と対照的だ。
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