2022年5月10日 (火)

初夏

一年の中でこの季節が一番いい。里山が柔らかな緑色に包まれ、パステルカラーで描かれた風景画でも眺めているような気分になる。少し経てばこの緑色がぐっと濃くなり、暑苦しささえ感じさせるようになる。若葉に覆われた柔らかな色合いの風景は今しか目にすることができない。

人の一生も同じかもしれない。新緑に包まれたパステルカラーの季節は長くない。それゆえ一層、その季節は束の間の輝きに彩られた、かけがえのない時間に見えてくる。ただ、それは過ぎてしまってからでないと気がつかない。その中にいるときには、逆に煩わしく憂鬱な時間でしかなかったりする。

もう自分が若くないという実感は正直なところ、まったくない。確かに若いころのように無理はきかない。目がかすんで字もよく読めない。少し草取りをしたくらいで体が悲鳴を上げる。けれども意識の上では、老いたとか若くないのだという実感がない。いつまで経っても意識は何も変わらない。昔と同じように相変わらず愚かなままだ。さまざまな事柄への好奇心も枯れることがない。

それでも、何かの折に過ぎてしまった時間の断片が心の隅をかすめていくとき、隔たってしまった時間の厚みにたじろぐことがある。それは戻ることができない時間の隔たりであり、おそらくこの先も現在の自分の時間に交わることがない時間の断片だと思われるからなのだろう。あのころ同じ時間を共にしていた人びとは、今どうしているのだろう。みなそれぞれの生をそれぞれの形で送っているのだとは思うが。啄木の歌にもそんな気分を詠んだものがあった。

    手套(てぶくろ)を脱ぐ手ふと休(や)む
    何やらむ
    こころかすめし思ひ出のあり

冒頭の二句「手套を脱ぐ手ふと休む」が鮮やかだ。隔たってしまった時間を何気なく思い浮かべるのは、まったくこういうときなのだ。何ということのない日常的な動作のすき間にふと「こころかすめし思い出」がすべり込むときがある。その思いはいつまでも後を引くものではない。現在の時間に大きな影響を与えるようなものではなく、淡いベールの向こうに霞んで見える、結晶化してしまった思い出だ。遠くからぼんやりと眺めるだけの、美しさしか残っていない時間。本当はその他もろもろの感情が付随していたはずのなのに、いつのまにか削ぎ落とされて芯しか思い出せない。

だが、それだけのこと。いつまでも振り返って過ぎ去った時間の中に立ち止まっているつもりはない。まだまだ先は長い。

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2022年1月10日 (月)

年が明けて

ブルーブラックのインクを水に落としたような空の下に、山ぎわの茜色が広がる。まだ少し明るい夕暮れ時だ。何ということのない少し早い冬の夕暮れ。寒気が薄れ、どことなくのんびりした気配の町並み。この冬の夕景色がこの上なく美しく見えるのはなぜだろう。おそらく幾たびも目にしたことがあるはずなのに、初めて見る光景のように感じるのはどうしてだろう。

冬期講習が終わり、今日は久々に生徒が誰も来ない教室。いや本当は一人来るはずだったのだが、どうやら欠席のようだ。連絡くらいしろよと思う一方で、たぶん今日は来ないかもしれないなと思ってもいたので、予想どおりであまり腹も立たない。

本当はこうして何もないときに片付けなければならないことがいろいろあるのだが、まあいいか、である。毎日次から次へと何かを片付けながら雑用に追われている。無目的にただ時間を過ごすという贅沢な時間の使い方が少なくなり、何かのためにこれをやらなければというチマチマした律儀さに縛られることが当たり前になっていた。何もしないということは、最大の贅沢である。

教室に置いてある読書用の肘掛けイスに座り、ノーマン・コーンの『千年王国の追求』を少し読みかけて眠気がさし、そのまま小一時間ほど居眠りをしてしまった。目を覚ましたときに一瞬自分がどこにいるのか分からず、窓の外にみえる外壁を眺めながらそうか教室で居眠りをしていたのかと気づくと、だんだん意識がはっきりしてきた。車で教室に来る途中も眠かった。あやうく居眠り運転しそうになるくらいだったのだが、さすがに運転中は眠りこけることもできず、教室でイスに座った途端に眠気がもどってきたものと見える。

昨年末にいくつか新しくなったものがある。長年使ってきた京セラのプリンタの調子が悪くなり、新しいプリンタをリースすることにした。同じ京セラのプリンタである。プリンタが搬入されるまで一週間以上間があったのだが、ふと、新しいプリンタのドライバが古いPCではインストールできないのではないかと気がついた。京セラのサイトで確認してみると、思った通りだった。どうするか迷ったが、この際PCも新しいものを用意することにした。が、新品というわけにはいかないので中古のノートPCでwindows10搭載のものを購入。これがHDDではなくSSD搭載のものだったので、起動もあっという間でHDDのモーターが回転する音もなく発熱もなく、中古とはいいながら、いやあいい時代になったものだ。windows10は初めて使うのだが、長年使ってきたwindowsXPとはさすがに使い勝手が違い、とまどう部分も多い。しかし、それも慣れの問題なのだろう。

こうして新しく用意しようと思い立ったのは、まだ六、七年はこの仕事を続けていこうと考えているからだ。六十五になったらやめようかと思ったこともあったが、できれば七十くらいまで体力と気力がもつのであれば続けようという気になっている。だから、もうしばらくは一番重要な仕事の道具は欠かせないと新しくしたのである。

プリンタもPCも新しいものに慣れるのは時間がかかる。試行錯誤であれこれやってみて馴染んでいくしかない。無意識に動かせるようになるまでは相当な期間が必要かもしれない。まあ、それもいいと思う。学ぶことはたくさんあったほうが退屈せずに済む。

年が明けても、実はさほど身辺は変わりがない。この歳になると、そんなものかもしれないが。

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2021年9月12日 (日)

慈雨のごとく

干天の慈雨のごとく、言葉が身体にしみ込んでくることがある。あれは、一体どういうことなのだろう。

すぐに通り抜けてしまう言葉や皮膚の表面を流れ落ちていくような言葉しか身の回りに存在しないとき、ふと頬にふれるかすかな風にも似た、ささやかではあるのだが清涼な言葉がすっと内側へしのびこみ奥深いところまで届いたりする。

こわれてしまいそうな繊細な言葉。孤独な魂の深い淵から、空へ向かってそっと放たれた言葉。その人の心の震えが伝わってくるような言葉。やすらぎとおおらかな開放感を感じさせる柔らかな言葉。あなただけがそうなのではく、わたしもあの人もそうなのだと支えてくれる言葉。断ち切るのではなく、つなぐために発せられる言葉。

ひとつひとつの言葉は質感も温度も異なるのに、それが身体にしみ込んでくると、自分の身体と心がどれだけ乾ききってぼろぼろになっていたか気付かせてくれる。わたしだってつらかったのだ。深く傷ついていたのだ。大声で叫び出したかったのだ。だけど、できなかった。いろいろなことが重なって、そうしたものを抑えなければならなかった。そのように目をそらしてやり過ごしてきたことが、少しずつ自分の内側を干からびた荒涼とした風景に変えてしまっていた。

しみ込んだ言葉は、干上がってしまったように思えた地表の下に流れる水脈を引き寄せる。そして、かつてあなたの内側に、青々とした麦畑や風が渡ってゆく草原がどこまでも続いていたことを思い出させる。麦畑はいつしか黄金色の海になり、草原には牛や馬があちらこちらで草を食んでいる。そのような豊かな光景があなたの中にも広がっていたのだと。

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2021年6月27日 (日)

1959年のアート・ペッパー

アート・ペッパーの演奏は1956年以降のものの評価が高いようなのだが、最近聞き直しているのが、1959年に録音された3枚のアルバムだ。録音順に「Art Pepper + Eleven」(Contemporary)、「The Broadway Bit」「I got a boot out of you」(ともにWarner Bros)。いずれもビッグバンド編成で、アレンジャーはマーティ・ペイチ。アート・ペッパーをフィーチャーした「マーティ・ペイチ楽団」という趣がある。

この3枚は有名なアルバムなのだが、今まであまり頻繁に聴いてこなかった。ワン・ホーンのカルテットかトランペットやテナーサックスの入ったクインテット、多くてもセクステットまでの少人数で聴くアート・ペッパーが一番だなあと思っていたので、ビッグバンド編成の中で演奏するペッパーには、あまり魅力を感じていなかった。しかし、よく考えてみれば、もともとはスタン・ケントン楽団のサックス奏者だったのだから、大人数の楽団で演奏する方が自然な姿なのだと当たり前のことに気付かされた。

1959年の3月から7月にかけてレーベルは異なるけれども、同じアレンジャーによる同じような編成で録音された3枚のアルバムは、連作とでも呼んだ方がいいほどの内容になっている。

演奏人数は「Art Pepper + Eleven」と「The Broadway Bit」が12名。「I got a boot out of you」が14名。共通する奏者も多い。アレンジャー兼ピアノのマーティ・ペイチと主役のアート・ペッパーが出ずっぱりなのは当然として、ドラムスのメル・ルイス、フリューゲルホーンのヴィンス・デ・ローザ、ヴァルブトロンボーンのボブ・エネヴォルゼン、テナーサックスのビル・パーキンスの四人も3枚に共通だ。つまりバンドの約半数は同じ面子ということになる。2枚共通だとトランペットのジャック・シェルドン、ピアノのラス・フリーマン、ベースのジョー・モンドラゴン、トランペットのアル・ポーシノ、トロンボーンのジョージ・ロバーツ、ヴィブラフォンのヴィクター・フェルドマン。実に12~14名のうち8~12名が重なっている。アート・ペッパーをフィーチャーした「マーティ・ペイチ楽団」と呼んだゆえんである。

楽曲としては「Art Pepper + Eleven」がジャケットに"A treasury of modern jazz classics"と銘打ってあるように、ガレスピーやモンクやパーカーをはじめホレス・シルバー、ソニー・ロリンズなどの曲が取り上げられ、楷書で書かれたようなきっちりしたモダンジャズに仕上がっている。「The Broadway Bit」はアルバムタイトル通りブロードウェイミュージカルのスタンダードナンバー。「I got a boot out of you」は半数がデューク・エリントンの曲でスイング感が半端ではない。

どのアルバムでもアート・ペッパーのアルトサックスが光っているのはもちろんだが、1枚目の「Art Pepper + Eleven」ではテナーサックスとクラリネットも演奏している。クラリネットの演奏が特にいい。アルトサックスのときのフレージングでクラリネットを吹いているので、音は柔らかいけれどもいつもの「ペッパー節」が聴ける。スローナンバーやバラードをアルトサックスで吹くときの音に似て、それよりもっと包み込むように柔らかなクラリネットの音はなかなか捨てがたい。

それから2枚目の「The Broadway Bit」は、ベース奏者があのスコット・ラファロである。1959年の後半にスコット・ラファロはビル・エヴァンス、ポール・モチアンとトリオ組むことになるのだが、それ以前の5月にこのアルバムでペッパーらと演奏していたというわけだ。

ちなみに1959年1月生まれの私は、これらのアルバムが録音された当時はまだ立って歩くことすらできない赤ん坊だった。自分が生まれた年の演奏をこうして楽しめるとは想像もつかなかったにちがいない。

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2021年6月19日 (土)

中村真一郎『頼山陽とその時代 上・中・下』(中公文庫)読了

やっと読み終えた。二十代に購入したまま三十数年以上「積ん読」状態だった三冊本の文庫を読み始めたのは何年か前のことだった。老眼がひどくなって文庫本の細かい文字を追うのが苦痛になり、数十頁で読みかけにしていたものを昨年から読み直してみると、これが無類におもしろかった。

何がおもしろかったのか。まず、中村真一郎が頼山陽を取り上げることになったいきさつである。頼山陽の病状に自分の患う神経症の症状を発見し、「同病相哀れむ」ではないが、他人事とは思えない親近感を抱いた。そこから丹念に山陽の日録的な伝記を読み込み、山陽の著作とその周辺の漢詩人たちの作品を渉猟し、山陽を中心に置いた江戸後期の漢文学見取図を中村真一郎は描き出していくことになるのだが、その発端となった親近感に妙にひかれてしまった。

この本の中でも何度か触れられるのだが、サントブーブの『シャトーブリアンとその文学的グループ』をお手本に、『頼山陽とその時代』も、山陽の生い立ちから始まり、父祖子孫、学問・文学上の師、弟子、友人、敵対者まで幅広く周辺人物が描かれ、最後に山陽の著述についての論評という構成は、まったく読み応えのあるものだった。学者の書く厳密性に裏打ちされた堅苦しい論文ではなく、実に親密な、サロンでお茶でも飲みながらゆるゆると語られる長い文学談義を耳にしているような心地よさがあった。

頼山陽という人物は、おそらく相当に偏った印象を持たれている存在ではなかろうか。幕末の志士に影響を与えた『日本外史』の作者というイメージが強すぎて、漢詩人としての山陽の持っていた側面や、晩年は幕府の学問所に招かれようかというところまで話が進んでいたという一面など、あまり一般には浮かんでこないのではないだろうか。中村真一郎描く山陽像は、画一的なこれまでの山陽像を一新し、江戸後期の漢詩人としての魅力ある姿を余すところなく描いている。

なぜ、この本をもっと早く読まなかったのかと悔やまれる。大学に入ってすぐのころに読んでいたら、間違いなく頼山陽の漢詩文を勉強しようと思ったはずである。漠然と江戸文学、日本漢文に興味を持ちながら、結局漠然とした興味で終わってしまい何事も探究しないままで終わってしまった。それは今思えば、核心となる対象を欠いていたからだ。怠惰に流れてしまった若い時間を惜しんでももはや取り返しはつかない。だから、後悔しても始まらない。そうではあるのだが、やはり、あの頃に読んでいたらどうだったろうと考え込まずにはいられない。

しかし、おそらくはあの当時読んでも、今と同じような感銘は受けなかったのではないかとも思う。書画や骨董品を品定めするかのように、次から次へと漢詩文に対する中村真一郎の目利きが繰り広げられるさまをおもしろがるには、自分も相応に歳を取らなければならなかったということなのだろう。若いときに読んでも、この本の面白みはピンとこなかっただろうという気がする。

それは、これまでも何度か引用して触れたが、人の生涯というのは可能性の中断された束なのではないか、という中村真一郎の認識に深い共感を覚えるからであり、自分もまた残りの手持ち時間が少なくなってきたと実感するからだ。無限にこの先の時間があり、ふんだんに惜しげもなく浪費できる若い頃とは感覚が違う。だから書物には若い頃に出会って深い感銘や強い影響を受けるものがある一方で、年齢を重ね経験を積んでからでなければ味わい深さが分からないものもあるということなのだろう。重ねて言えば、何度も読み返すものだってある。読むたびに新しい発見があり目を開かれるような書物がある。

だから買ったまま読んでいない、ずっと「積ん読」状態の本たちにもそれぞれの役割と意義があるのだと思う。もしかすると最後まで手をつけずに終わってしまう本もあるかもしれない。しかし、それはそれでよい。縁がなかったのだ、結局は。限りある時間の中を生きている私たちには、無限に本を読むことなどそもそもできない相談だ。本だけに限らない。映画でも、音楽でも、絵画でも、人でも、みな限られた時間の中で出会えるものは限られた範囲に過ぎない。出会うということの「縁」を大事にしなければいけないのだとつくづく感じる。

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2021年3月19日 (金)

自戒をこめて

二十代の初め、私は仙台の教習所に通って運転免許を取ろうとしていた。仮免許を取るのに半年かかった。期限ぎりぎりで、もし取れなければ、また新たに受講料を納めて最初から受け直すことになるところだった。車の免許を取ることに熱心でなかったことが一番の原因だと思うが、何事につけ長続きしない飽きやすい性格もわざわいしていた。

仮免許を取って路上教習に出るようになり、最も苦手だったのは車線変更だった。片側二車線か三車線が普通の仙台市内の交通量は多く、車線変更のたびに私はためらってしまい、なかなかハンドルを切ることができなかった。教官の中には、スムーズな車線変更ができない状態に苛立つ人もいた。それがある時、一人の教官のひと言で、苦手意識がすっと消えてしまった。

その教官は、車線変更に手間取っている私の様子を見て、短く的確に助言してくれた。「バックミラーに後続車が見えなくなったら、サイドミラーを見る。サイドミラーに見えなくなったら、真横を目視する。」

このひと言で、いつハンドルを切れば大丈夫なのか、完全にのみ込むことができた。実際言われた通りに確認してみると、バックミラーに見えていた後続車が真横に並ぶまでの時間的な経過がよく分かった。それ以来、車線変更に不安を感じることはなくなった。

何という名前の教官だったか、今では顔もはっきりと思い出せないが、教えてもらったことだけはずっと忘れずにいる。そして、そのことを感謝せずにはいられない。一生役立つ知識を教えてもらったと思うからだ。

おそらくその教官にしてみれば、何ということのない助言だったのだと思う。当たり前すぎてあらためて問題にする必要もないような、ちょっとした運転上のコツでしかなかったのかもしれない。しかし、そのコツが分からずにいた私からしてみると、雲が割れて陽光が射してきたような、一瞬で不安が解消される教えであった。

自信を持ってできるようになる。これこそが教育の最大の目標なのではないだろうか。

ひるがえって我が身を省みる。私はそのように教えることができているだろうか。むしろ、自信を失わせるような教え方しかしていないのではないか。何でもないような、ちょっとしたひと言でも、人はそれによって何事かをつかみ自信を持つことができる。教えることに意義があるとすれば、それは知識の量を増やすことにではなく、誰かに自信を持たせることができ得るということにあるのではないか。

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2020年12月10日 (木)

もう四十年経つのか…

昨日、車のラジオから「ジョン・レノンが亡くなってから四十年になります」というひと言が流れるのを不意に耳にした。

ああ、もう四十年経ったのか。そうか、あの時わたしは二十一歳だったのか。唐突に、ジョン・レノンの死を知ったときの情景がはっきりと浮かんできた。その詳細は、十年前に「After thirty years」という記事に書いたので繰り返さないが、いつまで経っても昨日のことのようによみがえってくる。

自分がジョン・レノンと同じ歳になるということなど想像もできず、ましてその後さらに二十年も生きて六十代になるなど思いもしなかった。若いということは、そういうことなのだろう。有りあまるほどの時間をその先に抱え、年齢を重ねた先の自分の姿など毛ほども考えはしない。それで当たり前なのだ。

ジョン・レノンは四十年でその生涯が途切れてしまった。またしても「無数の可能性の中途半端な実現の束が、人の一生なのではないか」「殆どの人間の人生が中断なのではないか」という中村真一郎の言葉がしみてくる。

四十年前は、ジョン・レノンの死そのものに大きな衝撃を受けた。それだけ有形無形の影響を受けていたということなのだろう。こうありたいと思う大人の姿の一つだった。

今は、それから過ぎてしまった時間の長さを前に、うまく言葉にできず呆然と立ち尽くしてしまう。たぶんこの先も節目の年になると、同じようなことを考えるのかもしれない。

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2020年10月14日 (水)

日暮れて道遠し

日の暮れが早くなった。秋になったのだと痛感する。それとともに「日暮れて道遠し」だなとしみじみ思う。

「道」といっても何か理想を追い求めてきたわけではない。教えるという仕事にしても、好きではあるが、その究極をつきつめてみようと考えたことはない。むしろ、惰性的にだらだら同じ所をぐるぐると回りながら、少しずつ少しずつ上昇していく、らせんのような仕事の中でしか分からないのではないかと思ったりする。

だから「道遠し」だなと思うのは、そのような抽象的なものに関してではなく、もっと具体的なあれやこれやについてである。

たとえば、数年前から続けている英単語を覚えるという作業や、近代史の学び直しで参考文献を読み続けていくという作業は、時にかき消えそうになりながらも、途切れることなく継続されてきた。

そうではあるのだが、語学も、近代史の学び直しも、いつまで経っても完結しないのではないか。このまま中途半端な状態で終わってしまうのかもしれないなという気がする。

中村真一郎が『頼山陽とその時代』の冒頭で述べていたように、結局、そのような可能性の中断された束が人の生涯というものなのではないか。いつも途上である。九十代のジャズピアニストが毎日4時間の練習を欠かさないという話や、七十代のピアニストがもっと上手くなれるかもしれないからピアノに専念したいといってビッグバンドを解散した話をかつて耳にしたとき、すごいものだとしか思わなかったが、彼らにしてもまだ途上なのだと思っていたのだろう。

完結したと思った瞬間から凋落は始まる。生成変化している途上に完結などあるはずがない。あるのは中断だけだ。

だから「日暮れて道遠し」だと思えるうちが幸いなのだ。少なくともまだ夜のとばりは降りていないのだから。

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2020年10月13日 (火)

眠りと夢・その17

朝、目が醒める少し前に夢を見た。例によって何の脈略もなく、いきなり訳の分からない状況から夢が始まる。少なくとも「始まった」ように感じられるのだが、本当はその前の部分が記憶から抜け落ちているだけなのかもしれない。

大きな川にかかった橋の歩道部分を歩いている。橋の中ほどにさしかかったとき欄干にもたれて川下を眺めている若者の横顔が目に入ってきた。知っている顔だ。足を速めてその若者に近づく。若者は川向こうへと視線を移し、こちらに半分ほど背を向ける格好で立っていた。「Tじゃないか。」私は声をかけた。

若者は振り返って私を見た。「おれが誰だか、分かるんだな?」そう言うと大きく顔をほころばせた。「しばらくぶりだな。どうしてた?」「相変わらずさ。」「なんでまた、こんな所で川なんか眺めてたんだ?」「この近くに住んでるんだ。橋を渡ってすぐそこさ。」

私はTと並んで橋を渡り、そこだよと言われた彼のアパートについて行った。堤防の道からアパートの二階へ渡れるように短い通路が架かっている。

Tは一階だからと階段を下りてゆく。階段から一番遠い部屋がTの部屋だったが、鍵が見当たらないと言う。どこかに落としたのか事情は分からないが、とにかく鍵が無いらしい。困ったな、と小声でつぶやき、Tは玄関ドアの横にある窓に手をかけた。「お、ラッキー。」窓に鍵がかかっておらず、Tは窓から中に入り、玄関を開けてくれた。「散らかってるが、入ってくれ。」

中に入ると押入の前に雑然と片付けられた布団があるだけだ。余計なものは他にない。殺風景を通り越して、あきれるほどサバサバした部屋だった。

「まあ、座ってくれ。」そう言われて腰をおろすのと同時に、玄関ドアがどんどんと無遠慮に叩かれた。Tはチッと舌打ちをして玄関を開けた。「帰ってきてるんだったら、家賃を払ってちょうだい。」中年の太った女が眉間にしわを寄せ、腕組みをして立っている。「すぐ払うから、ちょっと待ってくれよ。客も来てるし…。」そうか、家賃を滞納しているのかと思ったところで目が醒めた。

目が醒めて、しばらくぼんやりしてしまった。Tは小学校から中学を卒業するまで一緒に過ごした同級生だ。高校に入ってから後はつき合いがなくなってしまったが、小学校の高学年の頃は、よくTの家に遊びに行っていた。中学一年の時に花巻まつりを観に行って、すっかり暗くなってから自転車で帰ってきたこともあった。気弱な私と違い、Tはケンカが強く親分肌のところがあったので、多少遅くなっても心強かった。

そのTは自ら命を絶ってしまった。もう十数年になるだろうか。詳しい事情はわからない。事業がうまくいっていなかったのか、それとも何か他の理由だったのか。葬儀は盛大だった。生前の交際範囲の広さを反映して花輪の数が驚くほど多かった。あれほど参列者の数が多い葬儀も、他に記憶がない。お寺の本堂に入りきれず、大勢が庭で参列した。

現実のTは、だから、決してアパートの家賃を滞納するような境遇ではなかった。にもかかわらず、若い姿のTが私に向けた笑顔は、どこか寂しげな陰をたたえていた。なぜTの夢をみたのか分からないが、あの笑顔は切なくなるほど、懐かしかった。

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2020年8月 9日 (日)

「ク活用」と「シク活用」・続き

さて、ここからは個人的な思いつきなので、あまり信用せず話半分と思ってもらえれば幸いである。

実は松尾聡氏の『古文解釈のための国文法入門』で「発生・発達もシク活用形容詞はク活用形容詞に遅れると考えられている」という箇所を読んだとき、逆ではないのかと疑問に思ったのだ。

形容詞には「語幹の用法」というものがある。いくつかあるが、「体言+を+形容詞語幹+み」で原因・理由を示し「~が~なので」となるものがよく知られているのではないだろうか。たとえば、落語の「崇徳院」にも出てくる崇徳院の歌の初句「瀬をはやみ」(川瀬の流れが速いので)などである。

この形容詞の語幹が、ク活用では「し」をつけない形だが、シク活用では「し」のついた終止形を語幹のように考える。「はやし」はク活用だから「はや」が語幹だが、「なつかし」はシク活用なので「なつかし」を語幹のように扱う。だから「瀬をはやみ」の用法の形が「野をなつかしみ」といった形になる。

この語幹の形の違いから、ク活用は「語幹+し」、シク活用は「~し」までがひとまとまりなのではないかと考えた。そして古典文法の形容詞は「し」で言い切りの語であることを合わせて考えると、「~し」までひとかたまりのシク活用の方が本来的な形で、「語幹+し」となるク活用は後から生まれた形なのではないかと思った。

現代語で考えてみるとはっきりするのだが、古典文法のク活用形容詞は、語幹だけで意味が伝わるのではないか。たとえば、あっという間に解き終わった人を見て「速!」とか、金額を聞いて「高!」とか「安!」と言ったり、長々待たされたときに「遅!」と言ったりできるのではないか。これらはいずれも古典ではク活用の形容詞である。

はなはだ口語表現的ではあるが、これがシク活用になると、悲しいときに「悲!」とか、涼しいときに「涼!」とは言わないだろう。ク活用の「暑し」なら「暑!」と言えるのに、である。

と、ここまで書いてみると「発生・発達もシク活用形容詞はク活用形容詞に遅れると考えられている」というのは、その通りなのかもしれないと思えてきた。

つまり、ク活用の形容詞は、もともと語幹だけで物事の「状態」を形容できる意味を持っていたものが、それに「し」という語尾を追加することで、形容する働きを明示化したのだと考えれば、確かにク活用の方が本源的な形なのかもしれない。

国語学専攻の方で、ご存知の方がいらっしゃれば、詳しくご教授をお願いします。

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