2021年3月19日 (金)

自戒をこめて

二十代の初め、私は仙台の教習所に通って運転免許を取ろうとしていた。仮免許を取るのに半年かかった。期限ぎりぎりで、もし取れなければ、また新たに受講料を納めて最初から受け直すことになるところだった。車の免許を取ることに熱心でなかったことが一番の原因だと思うが、何事につけ長続きしない飽きやすい性格もわざわいしていた。

仮免許を取って路上教習に出るようになり、最も苦手だったのは車線変更だった。片側二車線か三車線が普通の仙台市内の交通量は多く、車線変更のたびに私はためらってしまい、なかなかハンドルを切ることができなかった。教官の中には、スムーズな車線変更ができない状態に苛立つ人もいた。それがある時、一人の教官のひと言で、苦手意識がすっと消えてしまった。

その教官は、車線変更に手間取っている私の様子を見て、短く的確に助言してくれた。「バックミラーに後続車が見えなくなったら、サイドミラーを見る。サイドミラーに見えなくなったら、真横を目視する。」

このひと言で、いつハンドルを切れば大丈夫なのか、完全にのみ込むことができた。実際言われた通りに確認してみると、バックミラーに見えていた後続車が真横に並ぶまでの時間的な経過がよく分かった。それ以来、車線変更に不安を感じることはなくなった。

何という名前の教官だったか、今では顔もはっきりと思い出せないが、教えてもらったことだけはずっと忘れずにいる。そして、そのことを感謝せずにはいられない。一生役立つ知識を教えてもらったと思うからだ。

おそらくその教官にしてみれば、何ということのない助言だったのだと思う。当たり前すぎてあらためて問題にする必要もないような、ちょっとした運転上のコツでしかなかったのかもしれない。しかし、そのコツが分からずにいた私からしてみると、雲が割れて陽光が射してきたような、一瞬で不安が解消される教えであった。

自信を持ってできるようになる。これこそが教育の最大の目標なのではないだろうか。

ひるがえって我が身を省みる。私はそのように教えることができているだろうか。むしろ、自信を失わせるような教え方しかしていないのではないか。何でもないような、ちょっとしたひと言でも、人はそれによって何事かをつかみ自信を持つことができる。教えることに意義があるとすれば、それは知識の量を増やすことにではなく、誰かに自信を持たせることができ得るということにあるのではないか。

| | コメント (0)

2020年12月10日 (木)

もう四十年経つのか…

昨日、車のラジオから「ジョン・レノンが亡くなってから四十年になります」というひと言が流れるのを不意に耳にした。

ああ、もう四十年経ったのか。そうか、あの時わたしは二十一歳だったのか。唐突に、ジョン・レノンの死を知ったときの情景がはっきりと浮かんできた。その詳細は、十年前に「After thirty years」という記事に書いたので繰り返さないが、いつまで経っても昨日のことのようによみがえってくる。

自分がジョン・レノンと同じ歳になるということなど想像もできず、ましてその後さらに二十年も生きて六十代になるなど思いもしなかった。若いということは、そういうことなのだろう。有りあまるほどの時間をその先に抱え、年齢を重ねた先の自分の姿など毛ほども考えはしない。それで当たり前なのだ。

ジョン・レノンは四十年でその生涯が途切れてしまった。またしても「無数の可能性の中途半端な実現の束が、人の一生なのではないか」「殆どの人間の人生が中断なのではないか」という中村真一郎の言葉がしみてくる。

四十年前は、ジョン・レノンの死そのものに大きな衝撃を受けた。それだけ有形無形の影響を受けていたということなのだろう。こうありたいと思う大人の姿の一つだった。

今は、それから過ぎてしまった時間の長さを前に、うまく言葉にできず呆然と立ち尽くしてしまう。たぶんこの先も節目の年になると、同じようなことを考えるのかもしれない。

| | コメント (0)

2020年10月14日 (水)

日暮れて道遠し

日の暮れが早くなった。秋になったのだと痛感する。それとともに「日暮れて道遠し」だなとしみじみ思う。

「道」といっても何か理想を追い求めてきたわけではない。教えるという仕事にしても、好きではあるが、その究極をつきつめてみようと考えたことはない。むしろ、惰性的にだらだら同じ所をぐるぐると回りながら、少しずつ少しずつ上昇していく、らせんのような仕事の中でしか分からないのではないかと思ったりする。

だから「道遠し」だなと思うのは、そのような抽象的なものに関してではなく、もっと具体的なあれやこれやについてである。

たとえば、数年前から続けている英単語を覚えるという作業や、近代史の学び直しで参考文献を読み続けていくという作業は、時にかき消えそうになりながらも、途切れることなく継続されてきた。

そうではあるのだが、語学も、近代史の学び直しも、いつまで経っても完結しないのではないか。このまま中途半端な状態で終わってしまうのかもしれないなという気がする。

中村真一郎が『頼山陽とその時代』の冒頭で述べていたように、結局、そのような可能性の中断された束が人の生涯というものなのではないか。いつも途上である。九十代のジャズピアニストが毎日4時間の練習を欠かさないという話や、七十代のピアニストがもっと上手くなれるかもしれないからピアノに専念したいといってビッグバンドを解散した話をかつて耳にしたとき、すごいものだとしか思わなかったが、彼らにしてもまだ途上なのだと思っていたのだろう。

完結したと思った瞬間から凋落は始まる。生成変化している途上に完結などあるはずがない。あるのは中断だけだ。

だから「日暮れて道遠し」だと思えるうちが幸いなのだ。少なくともまだ夜のとばりは降りていないのだから。

| | コメント (0)

2020年10月13日 (火)

眠りと夢・その17

朝、目が醒める少し前に夢を見た。例によって何の脈略もなく、いきなり訳の分からない状況から夢が始まる。少なくとも「始まった」ように感じられるのだが、本当はその前の部分が記憶から抜け落ちているだけなのかもしれない。

大きな川にかかった橋の歩道部分を歩いている。橋の中ほどにさしかかったとき欄干にもたれて川下を眺めている若者の横顔が目に入ってきた。知っている顔だ。足を速めてその若者に近づく。若者は川向こうへと視線を移し、こちらに半分ほど背を向ける格好で立っていた。「Tじゃないか。」私は声をかけた。

若者は振り返って私を見た。「おれが誰だか、分かるんだな?」そう言うと大きく顔をほころばせた。「しばらくぶりだな。どうしてた?」「相変わらずさ。」「なんでまた、こんな所で川なんか眺めてたんだ?」「この近くに住んでるんだ。橋を渡ってすぐそこさ。」

私はTと並んで橋を渡り、そこだよと言われた彼のアパートについて行った。堤防の道からアパートの二階へ渡れるように短い通路が架かっている。

Tは一階だからと階段を下りてゆく。階段から一番遠い部屋がTの部屋だったが、鍵が見当たらないと言う。どこかに落としたのか事情は分からないが、とにかく鍵が無いらしい。困ったな、と小声でつぶやき、Tは玄関ドアの横にある窓に手をかけた。「お、ラッキー。」窓に鍵がかかっておらず、Tは窓から中に入り、玄関を開けてくれた。「散らかってるが、入ってくれ。」

中に入ると押入の前に雑然と片付けられた布団があるだけだ。余計なものは他にない。殺風景を通り越して、あきれるほどサバサバした部屋だった。

「まあ、座ってくれ。」そう言われて腰をおろすのと同時に、玄関ドアがどんどんと無遠慮に叩かれた。Tはチッと舌打ちをして玄関を開けた。「帰ってきてるんだったら、家賃を払ってちょうだい。」中年の太った女が眉間にしわを寄せ、腕組みをして立っている。「すぐ払うから、ちょっと待ってくれよ。客も来てるし…。」そうか、家賃を滞納しているのかと思ったところで目が醒めた。

目が醒めて、しばらくぼんやりしてしまった。Tは小学校から中学を卒業するまで一緒に過ごした同級生だ。高校に入ってから後はつき合いがなくなってしまったが、小学校の高学年の頃は、よくTの家に遊びに行っていた。中学一年の時に花巻まつりを観に行って、すっかり暗くなってから自転車で帰ってきたこともあった。気弱な私と違い、Tはケンカが強く親分肌のところがあったので、多少遅くなっても心強かった。

そのTは自ら命を絶ってしまった。もう十数年になるだろうか。詳しい事情はわからない。事業がうまくいっていなかったのか、それとも何か他の理由だったのか。葬儀は盛大だった。生前の交際範囲の広さを反映して花輪の数が驚くほど多かった。あれほど参列者の数が多い葬儀も、他に記憶がない。お寺の本堂に入りきれず、大勢が庭で参列した。

現実のTは、だから、決してアパートの家賃を滞納するような境遇ではなかった。にもかかわらず、若い姿のTが私に向けた笑顔は、どこか寂しげな陰をたたえていた。なぜTの夢をみたのか分からないが、あの笑顔は切なくなるほど、懐かしかった。

| | コメント (0)

2020年8月 9日 (日)

「ク活用」と「シク活用」・続き

さて、ここからは個人的な思いつきなので、あまり信用せず話半分と思ってもらえれば幸いである。

実は松尾聡氏の『古文解釈のための国文法入門』で「発生・発達もシク活用形容詞はク活用形容詞に遅れると考えられている」という箇所を読んだとき、逆ではないのかと疑問に思ったのだ。

形容詞には「語幹の用法」というものがある。いくつかあるが、「体言+を+形容詞語幹+み」で原因・理由を示し「~が~なので」となるものがよく知られているのではないだろうか。たとえば、落語の「崇徳院」にも出てくる崇徳院の歌の初句「瀬をはやみ」(川瀬の流れが速いので)などである。

この形容詞の語幹が、ク活用では「し」をつけない形だが、シク活用では「し」のついた終止形を語幹のように考える。「はやし」はク活用だから「はや」が語幹だが、「なつかし」はシク活用なので「なつかし」を語幹のように扱う。だから「瀬をはやみ」の用法の形が「野をなつかしみ」といった形になる。

この語幹の形の違いから、ク活用は「語幹+し」、シク活用は「~し」までがひとまとまりなのではないかと考えた。そして古典文法の形容詞は「し」で言い切りの語であることを合わせて考えると、「~し」までひとかたまりのシク活用の方が本来的な形で、「語幹+し」となるク活用は後から生まれた形なのではないかと思った。

現代語で考えてみるとはっきりするのだが、古典文法のク活用形容詞は、語幹だけで意味が伝わるのではないか。たとえば、あっという間に解き終わった人を見て「速!」とか、金額を聞いて「高!」とか「安!」と言ったり、長々待たされたときに「遅!」と言ったりできるのではないか。これらはいずれも古典ではク活用の形容詞である。

はなはだ口語表現的ではあるが、これがシク活用になると、悲しいときに「悲!」とか、涼しいときに「涼!」とは言わないだろう。ク活用の「暑し」なら「暑!」と言えるのに、である。

と、ここまで書いてみると「発生・発達もシク活用形容詞はク活用形容詞に遅れると考えられている」というのは、その通りなのかもしれないと思えてきた。

つまり、ク活用の形容詞は、もともと語幹だけで物事の「状態」を形容できる意味を持っていたものが、それに「し」という語尾を追加することで、形容する働きを明示化したのだと考えれば、確かにク活用の方が本源的な形なのかもしれない。

国語学専攻の方で、ご存知の方がいらっしゃれば、詳しくご教授をお願いします。

| | コメント (0)

2020年8月 8日 (土)

「ク活用」と「シク活用」

先日、「UKY」さんという方から次のようなコメントをいただいた。

  「よし」はク活用で、「あし」はシク活用
  逆に、「よろし」はシク活用で、「わろし」はク活用
  なぜだろう。単に語感で決まっているのだろうか
  ご存知でしたらご教示ください

形容詞のク活用とシク活用の見分け方については、たとえば「て」をつけて「クて」となるか「シクて」となるか、あるいは「なる」をつけて「クなる」、「シクなる」で区別せよ、というようなことしか話していなかったので、「UKY」さんの根源的な疑問にはハッと胸を突かれた。つまり、これまでク活用とシク活用の違いが何によるものなのか、私も考えたことがなかった。

そこで、古い古典文法の解説書や教科書をひっくり返してみると、ちゃんと出ていた。

まず、松尾聡 著『古文解釈のための国文法入門』(研究社、1973)という半世紀ほど前の本では

 ク活用形容詞は情態的(注、状態的の意味か)な属性概念をあらわすものが多く、シク活用形容詞は情意的な意味をもつものが多いといわれる。発生・発達もシク活用形容詞はク活用形容詞に遅れると考えられている。(p294)

次に、江口正弘・山岡萬謙 編『<改訂版>新読解古典文法』(尚文出版、1984)には

 ク活用の形容詞は、「荒し・長し・清し」のように事物の状態を示すものが多く、シク活用は、「悲し・恋し・苦し」のように感情を示す語が多い。(p30)

と出ている。要するに「ク活用」の形容詞は「状態」、「シク活用」の形容詞は「気持ち」を示すものが多い、ということのようだ。

では「UKY」さんが疑問に思った四語についてはどうなるのか。『岩波古語辞典』に載るそれぞれの語義を引用すると次のようにまとめられる。

 よし(ク活用)吉凶、正邪、善悪、美醜、優劣などについて、一般的に好感、満足を得る状態である意 …(状態)

 よろし(シク活用)…その方へなびき寄り近づきたい気持ちがする意 …(気持ち)

 わろし(ク活用)…他と比較して、あるいは基準に当てて、質が落ちる、価値が劣る(状態である)意 …(状態)

 あし(シク活用)…ひどく不快である、嫌悪されるという感覚、情意を表現するのが本来の意味 …(気持ち)

つまり「よし」「わろし」は「状態」を示すのでク活用、「よろし」「あし」は「気持ち」を示すのでシク活用になるようだ。「語感で決まっているのだろうか」という推測は、広い意味では当たっているのではないかと思う。

| | コメント (0)

2020年5月26日 (火)

老い

人は老いていく。若い頃にはなんでもなかったことが、思うようにできなくなる。目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったり、動作も遅くなり、自分の力だけでは歩くのもままならなくなったりする。記憶力も衰えてくる。新しいことがらはなかなか覚えられなくなる。

老いとともに一つまた一つと失われ、損なわれていくものが増えていく。もう取り戻せない時間も増えていく。失われてしまったもの、損なわれてしまったもの、もう取り戻せなくなってしまったものばかりに目がいくと深い悲哀の中に閉じ込められてしまいそうになる。

その悲哀は、無数の可能性の中から一つを選び、あり得たかもしれない残りを捨ててきたことへの悔いから生まれる。あの時あのようにしていたら、という思い。しかし、そのような仮定法は悔いと悲哀を深めるだけで、何ももたらさない。

年老いて、失われたものや損なわれたものや取り戻せないものが増えてくるのは自然なことなのであり、誰もが避けられないことがらだ。だからそれを嘆いてもしょうがない。振り向いて来し方を思い返してばかりでは前に進めない。

学び続けることの意味はそこにあるのではないか。七十代や九十代になっても、もっと上手く弾けるようになるかもしれないからと日々の練習を欠かさなかったジャズピアニスト達。六十代の半ばを過ぎてから新しい外国語を身につけようと学び始めた詩人。もっとささやかな日々のちょっとしたことでも、何かを新たに始めようと思い立ち、実際に始めてみた高齢者はどこにでもいるような気がする。

残り時間が少なく、忘れてしまうことの方が多いのに、なぜ新たなものを学ぼうとするのか。それは、失われていくもの、損なわれていくもの、取り戻せないものばかりが増えていく中で、ほんのひと握りでも自分の手の中に残る何かであるからだ。いずれ風に吹かれてどこかへ消え失せてしまうものだとしても、今この瞬間に握りしめている感触は錯覚ではない。

いくらかでも前へと歩を進めているという感触。後ろ向きに立ち止まっていた時間から抜け出し、また時計の針を進めているという感触。今の自分より少しでもましな自分になろうとする意志がある限り、ひとは老いを嘆くばかりではない生き方ができるのではないかと思う。

このところ、『国際市場で会いましょう』『怪しい彼女』『ウンギョ・青い蜜』という韓国映画を立て続けに観て、老いるということについて考えさせられてしまった。

| | コメント (0)

2020年5月 9日 (土)

コロナ禍の中で・その3

ロックダウン(lockdown)の訳語は何だろうと辞書を引いてみると「(米)囚人の独房への拘禁、厳しい監視」とあって、現在世間で流通している使われ方とズレがあるように感じる。こういうときは英英辞典に当たるべきだ。「オクスフォード現代英英辞典(OALD)」で引いてみると、次のように出ている。

"an official order to control the movement of people or vehicles because of a dangerous situation"

直訳すれば「危険な状況により、人びとや車両の移動を規制する公的な命令」とでもなるだろうか。これならしっくりくる。

羊のように(あるいは去勢された豚のように、と言うべきか)おとなしい日本人は「ロックダウン」が長引いても暴動など起こさない。アメリカのいくつかの州で、ロックダウンの解除を求める「暴動」が起きていることとは対照的だ。良くも悪くも日本の社会では和を乱さないこと、悪目立ちをしないこと、大勢に異を唱えないことが美徳とされるので、激しい自己主張の表現である抗議など考えられないということなのだろう。60年代の終わり頃に新宿騒乱があったり、安田講堂事件があったことなど、今となっては信じられないような平穏ぶりである。

コロナウイルスの感染拡大による変化の中でひときわ象徴的だと思うのは、人と人との物理的距離を取ることが、公共の場において標準的なあり方になったことだ。スーパーのレジでも床に標示があって間隔をとるように求められる。何も標示がなくても、列を作らざるをえない所では、誰言うともなく「社会的距離」を取るようになった。

これではデモや集会などありえない。もっともアメリカで行われているように、車に乗ったまま集団でデモ行進をしようと思えばできないこともないが、そこまでしてデモをする日本人はいないだろう。

こんなふうに人と人の距離が遠くなり、連帯や団結ではなく、分断と孤立が進むようになると、そうでなくともひどかった「見たいものしか見ない」という風潮が一層広まるのだろうなと思ってしまう。他者に対する想像力を欠いても、それがあまり問題とはならない社会ということなのだが。

| | コメント (0)

2020年5月 7日 (木)

コロナ禍の中で・その2

全国に緊急事態宣言が拡大された時、ふと「並行世界(パラレルワールド)」という言葉が浮かんできた。きっと、コロナウイルスの感染が起きる前の世界がそのままどこかで続いていて、そちらの世界では、これまでと同じようにお気楽にあちらこちらへでかけたり、三々五々人びとが集まったり、映画館やサッカースタジアムが満員になったりしているのではないか。

私たちの世界は、どこかでポイントが切り替わったのだと思えてならない。ある時点でパチンとスイッチが入り、あるいは切れて、ウイルスの世界的流行という悪夢のような現実の中に投げ込まれている。

これは不条理なことである。しかし、もともと世界は不条理なものだったのではないかとも思う。不条理なものを不条理なまま受け入れて生き延びるより手だてがないのではないか。

不条理ということで思い浮かべるのはアルベール・カミュである。今回のコロナ禍の中、カミュの『ペスト』が読まれているということを耳にして、私も読み返してみた。以前読んだのは四十年ほど前の二十代のころだ。

冒頭に出てくる、階段のネズミの死骸という場面は印象強く残っていたが、その他の場面はほとんど覚えていなかった。それでも、二十代のころに激しく心揺さぶられた箇所は、変わりなく心に迫ってきた。長い引用となるが、新潮文庫の宮崎嶺雄訳で引いてみる。P155-156の一節である。

(前略)しかし、筆者はむしろ、美しい行為に過大の重要さを認めることは、結局、間接の力強い賛辞を悪にささげることになると、信じたいのである。なぜなら、そうなると、美しい行為がそれほどの価値をもつのは、それがまれであり、そして悪意と冷淡こそ人間の行為においてはるかに頻繁な原動力であるためにほかならぬと推定することも許される。かかることは、筆者の与しえない思想である。世間に存在する悪は、ほとんどつねに無知に由来するものであり、善き意志も、豊かな知識がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えることがありうる。人間は邪悪であるよりもむしろ善良であり、そして真実のところ、そのことは問題ではない。しかし、彼らは多少とも無知であり、そしてそれがすなわち美徳あるいは悪徳と呼ばれるところのものなのであって、最も救いのない悪徳とは、みずからすべてを知っていると信じ、そこでみずから人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳にほかならぬのである。殺人者の魂は盲目なのであり、ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。
(新潮文庫、アルベール・カミュ『ペスト』、宮崎嶺雄訳)

いったい二十代の私は、何故それほど激しく心揺さぶられたのか。今となっては思い出すすべもない。ただ激しく心を動かされたという感触だけが残っている。「ありうるかぎりの明識なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。」この力強い認識に、心臓をわしづかみにされてしまったのかもしれない。

| | コメント (0)

2020年5月 6日 (水)

コロナ禍の中で・その1

すっかり変わってしまった世界の中で日々を送っていると、かつて当たり前のように存在していた日常が、本当にあったことなのかあやしくなってくる。

突然、私たちはなじみ深い日常から切り離されて非日常の中に身を置いていることに気付かされる。これは九年前の東日本大震災のときもそうだった。断ち切られた日常はあまりにももろく、非日常の中に投げ込まれていることの実感だけが時間とともに強くなっていった。

けれども、その非日常感も長くは続かなかった。私たちは非日常の中にあっても、日常を、恒常的なものの存続を望んだ。非日常の現実も、日を追うに従って新しい「日常」へと変容していった。ひと月、三ヶ月、半年と過ぎるにつれて、震災当初の衝撃も動揺も薄れていった。それは震災を契機に社会が変わるかもしれないという淡い期待がしぼんでいく過程でもあった。相も変わらぬ、おなじみの光景が続いていくことのやりきれなさが心の中に広がった。

だが、震災にはまだ先の見える部分が多かった。壊滅的な被害を受けた沿岸部の、言葉を失わせるような光景は、半年が過ぎてもあまり大きく変わることはなかったが、それでも瓦礫が片付けられ、低い土地のかさ上げがなされ、少しずつ、しかし確実に復興の進む実感はあった。元に戻ることはないのかもしれないが、それでもこの先、どれくらいの時間が経てば、どうなるのかという見通しはいくらかでもつけられるようになっていった。

それにくらべて、今私たちが置かれている現実は先が見えない。緊急事態宣言は五月末まで延長された。しかし、果たしてその時点でコロナウイルスの感染が終息しているのか。とてもそうは思えない。ワクチンの開発には18ヶ月かかるという話も耳にしたように思うが、WHOがパンデミック宣言した3月から18ヶ月と考えても、来年の9月ころにならなければ使えないということではないか。

コロナウイルス自体がえたいのしれないものであることへの恐れもさることながら、このウイルスのために、世界中の人々の日々の営みが回復不能なまでに損なわれていることを思わずにいられない。

人の移動も、接触も、まるでディストピアを描いた近未来小説さながらに、極度の制限を受けている。日本はあくまでも要請でしかないが、海外では拘束されたり罰金が課されるという所もある。人や物の動きが止まるということは、お金の動きが止まるということでもある。今回のコロナウイルス感染の拡大によって世界規模で経済が大きく損なわれている。

先日、国会で一人あたり10万円の支給が決まったが、ほかの国々でも外出制限と同時に補償給付が行われている。少し前までは、思考実験の材料だったユニバーサル・インカムが、このような形で実現するとは思ってもみなかった。既にそのよしあしを議論する段階を越えていて、急いで支給しなければ生活が破綻するところまで来ている場合も相当数にのぼるのではないかと思われる。

一方、さまざまな業種の中小企業、自営業、フリーランスはこの後どうなっていくのだろう。国による各種救済策は整備されてきているようだが、手続きの面も含めて、必要としている所に十分手が差し伸べられているのだろうか。

終息を迎えても、いったいどれくらいの事業者が生き残れるのだろう。コロナウイルスによる個人の死も恐ろしいが、このコロナ禍による各種事業の「死」も同様に恐るべきものではないか。スクラップ・アンド・ビルドで、今回の事態がさまざまな事業の再編につながり、かえってよしとすべきだという見方もあるだろうが、果たしてそうなのか。

感染症への対策を機とした事業の再編は、結局、体力のある大きな企業の独占や寡占へと進むだけなのではないか。つまりは社会的格差の拡大へとつながるような変化をもたらすだけなのではないか。

| | コメント (0)

«蟷螂の斧・その2