2017年7月31日 (月)

同時代を生きているということ

近代史の学び直しをしている中で、もどかしく思うことがある。明治の西郷隆盛や板垣退助、あるいは昭和維新期の北一輝や大川周明でもよいのだが、写真やさまざまな記述を読んでも今ひとつつかめない感触が残る。膨大な人物論や評伝が残っている場合でもそれは変わらない。

これが例えば、田中角栄だったり佐藤栄作だったら、私と同年代の方はある手触りのある記憶とともに、こういう感じの人物という説明ができそうな気がする。もちろん直接田中角栄や佐藤栄作に会ったことがあるわけではない。テレビのニュースなどを通じた二次的な情報としてしか触れていない。にもかかわらず西郷隆盛や板垣退助に対しては感じることができない何かを彼らには感じる。

それは、おそらく同じ時代に生きていたという記憶から来るのではないだろうか。子どもの頃だったとしても、いや子どもであればなおのこと鮮明に、その時代の感触を覚えている。だから、メディアによって作られた像であるにしろ、ある確実な像となって浮かび上がってくるように思う。

それと同じように、村上春樹がベストセラー作家で新しい長編小説が出ると書店の前に行列ができたものだ、とか、藤井四段が連勝記録を更新したときはものすごい騒ぎだった、とかいった話はこれから五十年、百年経つと実感を伴わない歴史的な事実の一つになり、ふーんそうだったんだという程度の受け止め方しかされないだろう。

同時代を生きているということのありがたみは、なかなか実感することがないのだが、過去の歴史の中の人物と向き合うときに逆の意味で痛感させられる。だから、たとえば末松太平『私の昭和史…二・二六事件異聞』のような個人の記憶と結びついたエピソードに接すると、ベールの向こう側にあって届かないもどかしさを感じていた人物にいくらか近づけたような気持ちになる。それはあるいはただの錯覚なのかもしれない。しかし、主観的なものであってもなにがしかの記憶と結びつきがあるエピソードと、伝聞的に後で「情報」として知ったエピソードとでは雲泥の差がある。伝記が面白いと感じるようになったことには、こういった記憶の裏づけがあるエピソードという要素も大きく関係しているのだろう。

ただ、同じ人物についてであっても、それを記憶している人によって受け止め方は異なってくる。当たり前の話だが、まず時期の違いがある。それからその人物との親疎の距離感の違いも大きい。たとえば、森繁久彌と聞いて、私が思い浮かべるのは芸能界の大御所としての森繁久彌で、白いヒゲと眼鏡がすぐに浮かんでくる。しかし、もっと上の世代になれば、小林桂樹や三木のり平他と共演した「社長シリーズ」などの森繁久彌を思い浮かべるかもしれない。さすがにNHKのアナウンサー時代、それも満州国時代の姿を思い出す方は少ないと思うが。

そのような断片的な像の集積から、少しでも全体像の把握に進むことができたらそれだけでよしとすべきなのかもしれない。

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2017年7月30日 (日)

興味の対象

このところ、伝記やそれに準ずる記録などを面白く感じて読んでいる。もちろん小説には小説でしか表し得ない虚構の面白さがあるのだが、事実の積み重ね(それが主観的なものであるとしても)により浮き出てくる、現実に生きた人間の姿は、小説とは別の感慨を呼び起こす。

「ありうる姿」としての人間ではなく、「そのようであった姿」を味わうと言えばいいのか。どうも書画骨董を愛でる老人になってしまったような気分だが、おそらくこれは自分の手持ちの時間が残り少なくなってきていることを頭のどこかで分かっているということなのだろう。二十年くらいで人の生涯を区切ってみると、平均寿命まで生きるとして少なくとも八十年が四つに区分される。陸上競技のトラックで言えば、第一コーナーから第四コーナーということになるか。どう考えても、もうじき第三コーナーの区間が終わって第四コーナーへかかろうかというあたりをフラフラとしている。

現実的な話として、ここから「ありうる姿」を新たに求めて自分を変えていくのは、シンドイ。若い頃のように、これから先の時間がふんだんにあり、贅沢にそれを消費していくことができる時期であれば前しか見ずに進むこともできる。だが、長い坂道を下るように残り時間が刻一刻と少なくなっていく年代になると、否応なしに「来し方」に思いを馳せ、「そのようであった姿」を振り返ることが増えてくる。それとともに、伝記や記録に定着された、ある時代の一人の人間がどのようにして生きたかという姿に興味を覚えるようになった。

ある一人の人間が生きていく上で、大きく影響するものは何があるのだろう。まず生まれ育った時代。周囲の人間との出会い。そして偶然という要素。特に最後の偶然という要素の占めている割合が意外に大きいことに呆然としてしまう。若いころにチャプリンの自伝を読んで一番印象に残ったのもそのことだった。喜劇王と言われたチャプリンでさえ、映画に出ることになったのは「偶然」からだった。巡り合わせが違っていれば、『モダンタイムズ』も『ライムライト』も存在しなかったわけだ。その「偶然」をどのように捉えるかで、運命論者にも宗教家にもなりうるだろう。逆に、「偶然」が大きく作用するならジタバタしても始まらないじゃないかと開き直ることもできそうだ。

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2017年6月20日 (火)

伝記を読む

『現代日本思想大系』(筑摩書房)の第4巻「ナショナリズム」を図書館から借りて読んでいる。吉本隆明がこの巻の編者で、少し長めの冒頭解説も吉本自身が書いている。

さまざまな著者の文章が収められれていて興味深いのだが、山路愛山や徳富蘇峰、あるいは陸羯南といった人びとの文章はさすがに現代では読みにくい。明治人の著作は擬古文ではないが、江戸時代の候文と地続きで、引用部分や手紙部分など近世古文書かと見まごうばかりだ。漢詩文の引用も当たりまえのように白文でなされている。

この巻に石光真清の自伝から二つの文章が抜粋されている。特に『誰のために』から引用された部分に引き込まれた。あまりにも興味深かったので、『現代日本思想大系』のほうは中断し、『誰のために』を借りだして一気に読んだ。ロシア革命からシベリア出兵の時期に、陸軍嘱託となりロシアで諜報活動に従事した人物の濃密に凝縮された時間が行間から溢れ出てくるような感じだった。

自伝は、息子の石光真人が編纂し、『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』という四部作として刊行されたものの一つである。この石光真人という名前にどこかでお目にかかったことがあると思ったら、中公新書『ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書』の編著者であった。こちらも名著である。未読の方は、ぜひ御一読を。

石光真清は、陸軍幼年学校から陸軍士官学校へ進み、日清戦争後、対露戦への憂慮から私費でシベリアに渡航し、アムール州のブラゴベシチェンスクで語学研修を名目に諜報活動に従事した。いわゆる「軍事探偵」と言われた人物である。『誰のために』は、五十代に達した石光がロシア革命さなかのシベリア、ブラゴベシチェンスクへ再び戻り、激動に翻弄された日々の記録である。

革命指導者、反革命勢力のコザック兵、市民自警団これに日本人義勇軍(石光らの募兵に応じたブラゴベシチェンスク滞留日本人)がそれぞれの思わくを抱え、入り交じっていく。石光は革命指導者のムーヒンとも何度か直接会い、互いにその人物を認め合い、最後の別れ際にはムーヒンから記念にステッキを贈られる。敵対者である人物に丸腰で面会を求め、肚を割って交渉する。このあたりの呼吸は、さすがに明治元年に生まれ、子どもの頃に熊本神風連の乱や西南戦争を目の当たりしてきた人だと感じる。「小人物」ばかりとなってしまった現代には、このような肝のすわった対応は無理だ。

革命勢力、反革命勢力が一触即発で対峙する緊張が続く中、石光は日本陸軍の支援を要請し続ける。しかし、シベリア出兵が決まるまで本腰を入れて介入する気がない軍部は、基本方針通り継続せよとしか返答しない。日本人会の中には石光への不満や不信が一方にうずまき、協力と理解が期待できなくなっていく。そしてついに武力衝突が起きる。革命勢力が市を征圧し、反革命勢力と日本人は着のみ着のままで氷結したアムール川を中国領へと歩いて逃げる。その後、各国のシベリア出兵に伴いブラゴベシチェンスクの市政も一時反革命勢力が取り戻すのだが、財政危機を乗り越える方策がなく、かつて歓呼とともに市長に返り咲いた人物も市民から見放され亡命する。出兵した日本軍に市政を支援する意思がなく、そもそもシベリア出兵に確固とした方針がなかったことが導いた結果であった。失意の石光は日本に戻ることを決意する。

ロシア革命からシベリア出兵時期のシベリア、アムール州で自らが激動の渦中で一つの極となりながら革命の進展を目撃してきた人物の貴重な記録である。以前、ウィリアム・シャイラーの『ベルリン日記』を読んだ時にも感じたことだったが、歴史的な事件の渦中にいる当人たちにとっては、それが歴史的な事件であると意識されないのだろうなと思った。目の前にある瞬間瞬間に対応しているときに、それが歴史のひとこまであると俯瞰することは難しいのだろう。それは我々にしても同じだ。東日本大震災が起き、福島の原発事故が起き、共謀罪が成立した日本に我々は暮らしている。何十年か、何百年か後にどのような歴史として記述されることか。

悠久な時の流れと流星のような人の生の短さに、呆然とし、たじろいでしまう。

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2017年6月17日 (土)

雪崩をうって

昭和の始め、満州事変が起きるまで社会の空気は国際協調をとる幣原外交をよしとするものだった。第一次大戦後の軍縮と国際協調の流れは、大正デモクラシーとともに時代の空気感を形作った。軍事費の削減を求める声が当然のごとく起こり、実際に陸軍の数個師団が整理された。軍服を着た軍人が、電車の中で一般市民から「税金泥棒」といった罵声を浴びせられることも珍しいことではなかったらしい。

それが満州事変の勃発とともに、社会の空気が一変してしまう。満蒙は日本の生命線であり、日本の勢力下に置くことは何よりも重要なことである。そのような主張が広く受け入れられていく。その後の満州国成立と国際連盟脱退が、さらに帝国主義的拡大政策の支持へと国内の空気を押し上げる。軍部と右翼の国家主義者だけが戦時体制へと引っ張っていったわけではないのだ。

こういったナショナリズムの噴き上がりは、日露戦争後のポーツマス条約に反対する「日比谷焼き打ち事件」が最初なのだろう。「戦勝」したのに、なぜ賠償金が取れないのだ、と暴動が起きた事件である。国民の意識の底にある、ある種素朴なナショナリズムは、きっかけさえあれば一気に空気感を作り出し爆発的な勢いで拡大していく。

山本七平の『「空気」の研究』に、その「空気」の実態が詳細に分析されていることはよく知られている。昔から今に至るまで、日本の社会は「空気」に大きく支配されてしまうという点で何も変わっていないのじゃないかと思う。

今、何が一番起こってほしくないかと言えば、それは北朝鮮によるミサイル攻撃である。核ミサイルであろうが通常兵器であろうが、一発のミサイルが(あるいは数十発かもしれない)実際に着弾して死傷者を出すことに対する恐怖感はもちろんある。七十年以上も国土を攻撃される恐怖を味わったことのない社会が、破壊と死に直面するという現実に耐えられるのかどうかとも思ってしまう。

しかし、それ以上に憂鬱になるのは、社会の空気が一気に好戦的なものに変わるだろうという暗い予感である。報復を求めるナショナリズムの噴き上がりが容易に想像される。「日比谷焼き打ち事件」から「満州国成立」といった過去の例を思えば、同じような社会的興奮状態へと沸騰しないという保証はない。そうなったときに、おそらく冷静な対応を求める声はかき消されていくだろう。憲法を改正して自衛隊を国軍とし、報復攻撃せよ。そういう声が大きくなるだろう。右翼の街宣車ががなりたてなくても、SNSの「いいね」や「RT」を通じて誰もがナショナリズムの信奉者に変わっていくだろう。

異を唱えるものは「非国民」「敵の回し者」と大炎上どころの話ではないだろう。やられたらやりかえすのが当たり前だろう。報復しないで黙っていろっていうのか。そういう声が支配的な空気を醸成するだろう。だが、そのように声高に言う人間が戦闘に行くわけではない。実際の戦闘で死傷するのは自衛隊員である。そして、戦争という事態になって一番犠牲になるのは「市民」である。イラクでもシリアでも、「市民」が大量に犠牲になった。報復感情というナショナリズムの噴き上がりがもたらすものは、結局「市民」の犠牲と軍需産業の利益増大だけではないか。

戦争を起こさせないための政治・外交こそが第一であるはずだが、戦争したくてうずうずしているどこかの国のリーダーはおそらく違う考えなのだろう。ここまで書いたことが杞憂に終わることを切に祈っている。

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2017年6月16日 (金)

詮ない事ではあるが・続き

参議院は「良識の府」ではなかったか。二院制は、慎重な審議を行うためのしくみで、法律案は国民に与える影響が大きいため衆参両議院の議決が異なる場合は、衆議院での再可決を要する。こんなふうに中学の「公民」では習う。

「共謀罪」は、委員会審議を打ち切り、委員会での採決をせず、「中間報告」による本会議直接採決で成立した。これが「慎重な審議」と言えるのだろうか。「良識の府」である参議院のとるべき姿なのだろうか。多くの疑義に答えることこそが必要なことであるはずだが、なぜそれほど成立を急がなければならないのか。

しかし、こういった強引な国会運営がなされるであろうことは、安倍政権が衆参両院で過半数を占めた時点で予想されていたことでもあった。実質的には有権者の25%程度の支持しか得ていない政権が両院の過半数を占めている。以前に何度か取り上げたように、投票率が低いからだ。それと衆議院の小選挙区制が党執行部に逆らえない風潮を作り出していることも大きい。本来、自民党は幅の広さが売りであったはずだが、いつの間にか共産党と変わらないほど、執行部絶対の議員が多数派の党になってしまったようだ。

小選挙区制がすぐには改まらないとしても、少なくとも投票率が上がれば選挙結果は大きく動いたはずだ。この低投票率が諸悪の根源なのかもしれない。有権者の四人に一人しか支持していない政権であっても、両院で過半数を占めていれば何でもできる。このまま、もうじき本丸の憲法改正へと進んでいくのだろう。

現政権には、議会制民主主義を守るという考えがないのではないか。あるいは形だけ議会制民主主義に見えるよう整えようという考えか。両院とも過半数を抑えているんだから、国会審議なんて形式的なものにすぎず、自分たちが好きなように法案を決めていくことができる。文句を言う奴はどんどん「排除」していく。答えたくない質問には答えない。「印象操作」と「人格攻撃」で、不都合な人間を社会的に消していく。

このような政治を何と言うか。「圧政」という二文字以外の言葉が浮かんでこない。

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2017年6月15日 (木)

詮ない事ではあるが

「共謀罪」が国会で成立した。実行行為なしでも処罰できるという法律は、これからどのように運用されていくのだろう。

組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案
 (組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部改正)

(中略)

  第六条の次に次の一条を加える。

  (テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)

 第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

  一 別表第四に掲げる罪のうち、死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められているもの 五年以下の懲役又は禁錮

  二 別表第四に掲げる罪のうち、長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められているもの 二年以下の懲役又は禁錮

 2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団に不正権益を得させ、又はテロリズム集団その他の組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を二人以上で計画した者も、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、同項と同様とする。

(後略)

「テロリズム集団その他の組織犯罪集団」とあるが、「別表第三」に掲げる罪を実行することを共同の目的として結合されたものが「組織的犯罪集団」ということになる。その「別表第三」だが、長すぎるので省略する(詳しくはこちら、ページの真ん中あたり)。しかし、「別表第三」の中の

五十五 著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)第百十九条第一項又は第二項(著作権等の侵害等)の罪

を実行することを共同の目的とし結合関係の基礎とした集団が「組織的犯罪集団」と認定されることになると、さまざまな表現の分野で、著作権侵害を恐れて自主規制が広がりそうな気がする。また「別表第四」には、気になる一節がある。

五 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法第四条第一項(偽証)の罪

とあるのだが、その「〜刑事特別法第四条第一項」とは、「第四条  合衆国軍事裁判所の手続に従つて宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する。」というもの。これって例えば沖縄の高江のヘリパッドの建設に抗議している住民たちとかを念頭に置いているってこと?

政府内閣は東京オリンピックに向けてテロ対策の強化が必要と強調するが、それならば「テロリズム集団」と限定すれば済むはずだ。それを「その他の組織犯罪集団」とし、しかもその定義に要する共同目的の犯罪がやたらに多い(ニュース等では277となっている)のでは、拡大解釈による恣意的運用を危ぶまれても仕方がないだろう。「テロリズム集団」以外の集団こそが処罰対象の本命なのではないかと疑わしくなる。

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2017年6月14日 (水)

Standards

エラ・フィッツジェラルドの歌う「These foolish things 」を最初に聴いたのは、もう四十年くらい前のこと。FMのジャズ番組から録音したテープを、飽きるくらい聴いた。

今思えば、「Ella And Lous Again」というアルバムに入っているものだった。エラとルイ・アームストロングの共演アルバムなのだが、この曲はルイ・アームストロング抜きのセット(ピアノ:オスカー・ピーターソン、ギター:ハーブ・エリス、ベース:レイ・ブラウン、ドラムス:ルイ・ベルソン)をバックにした三曲のうちの一つ。1957年7月23日録音なので、ちょうど60年前だ。

ハーブ・エリスのギターがポロポロと鳴って、エラがゆったりと歌う。実にゆったりしていていい心地になる。以来、ジャズ・ヴォーカルで誰か一人を選べと言われたら、ビリー・ホリデイとどちらにするかちょっとだけ迷うけれど、エラ・フィッツジェラルドにするだろうなと思ってしまう。ビリー・ホリデイも大好きなのだが、雛の刷り込みと一緒で、最初に耳にしたものが最後には残る。

このエラ・フィッツジェラルドの歌をこのところ毎日通勤する車の中で聴いている。去年アマゾンで購入した「Ella Fitzgerald Collection」という130曲のmp3音源をCD2枚に焼き込み、どっぷりとハマっている。mp3とはいえ、130曲で900円というのは安い。1曲あたり7円弱だ。なんとも信じがたい世の中になったものだ。

残念ながら、この130曲の中に「These foolish things」は入っていない。だが、次から次へと出てくるのは、ジャズのスタンダード・ナンバーばかり。「April in Paris」「Love for sale」「My funny valentine」「Stella by starlight」「How deep is the ocean」などなど。

そうか、ジャズのスタンダード・ナンバーってほとんどが「歌もの」なんだ。しかも、その多くがラブ・ソング。ヴォーカル・ナンバーなのにその元歌の多くを聴いていなかったことに改めて気付かされた。いい曲だなあと思っていた曲は、歌詞もよい。ヴォーカリストなら言葉にして歌うところをサックスやピアノで「歌って」いたから、しみじみとした情感があふれていたのだなあとのみ込める。

「ラブ・ソング」がスタンダードになるのは、恋愛というものが、人間の感情の一番基本的なところ(喜怒哀楽のいずれも)を揺り動かすからなのだろう。古今東西、老若男女にかかわらず、これほど普遍的な感情はないのではないか。「古今集」にしたって、その多くが「ラブ・ソング」だ。小野小町の

思いつつ寝ればやひとの見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

などという歌を目にすると、ジャズのスタンダード・ナンバーにこういう歌詞があったのではと錯覚する。

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2017年6月11日 (日)

閉塞感

石川啄木が「時代閉塞の現状」を書いたのは1910年(明治43年)。日露戦争を経験し、幸徳秋水らの「大逆事件」が起きた直後のことだ。啄木自身は、その閉塞した時代状況の展開を見ることなく、明治の終焉とともに亡くなってしまう。

それから二十年ほど経った1931年(昭和6年)、満州事変が起きる。ここから1936年(昭和11年)二・二六事件までの昭和初期も、社会には閉塞感が漂っていた。

啄木が「時代閉塞の現状」を書いたころに感じていた閉塞感は、近代国家という目標に追いついてしまった明治国家の目標喪失と、拠り所なく漂流し始めた個人の故郷喪失が重なりあう形で生まれたものだろう。また昭和初期の閉塞感は、政党政治への不信、世界恐慌前後の経済的状況が根底にあり、国内改造と満蒙進出によって一気にそれを打ち破ろうとする動きを作り出した。

翻って2017年の現在、そこはかとなく漂っているこの閉塞感はどこから来るのだろう。簡易真空装置で少しずつ空気が抜かれていくみたいに、ちょっとずつちょっとずつ自由な空気が社会から奪われているからだろうか。それとも、あらゆるものを経済的価値に一元化し、それ以外のものに価値を見出さない拝金主義的な風潮のせいなのか。子どもから大人まで、「結局はお金でしょ」という身も蓋もない価値観が大手を振るい、「武士は食わねど高楊枝」的なやせ我慢の美学などこれっぽっちのかけらも見かけなくなってしまった。

少なくとも、啄木が生きていた明治末のころや青年将校たちが行動を起こそうとしていた昭和初期の日本は、主権を持った「独立国」だった。他国の軍隊を駐留させ、基地を提供し、その費用まで負担するような「属国」ではなかった。地位協定や年次改革要望書によって主権を握る「宗主国」に尻尾を振るような国ではなかった。

戦争に負けて占領され、GHQによる民主化を受け入れるよりほかに選択肢はなかったのだから仕方がない。そうだろうか。戦後まもない日本の政治を切り盛りした保守の政治家たちは、「面従腹背」という言葉の意味をよくわかっていたはずだ。占領国であるアメリカの言うことには従う以外の選択肢がないのだから従わざるをえないが、いずれ時が来たら従属から抜けだして「独立国」になる。それまではじっと我慢する。これが当時の政治家の共通認識だったのではないか。

しかし、朝鮮戦争を境として、経済発展と引き換えに対米従属を続けたほうがよいという変質が常態化していく。高度経済成長により日本は豊かな先進工業国となった。対米従属を通じた経済発展こそ日本の生きる道、とでもいうように経済的価値が何よりも優先され、物質的豊かさは実現された。だが、それで幸せになったのか。豊かな社会に暮らしているのに、幸福だと感じている人の割合が少ないのはなぜだろう。

独立した国民国家ですらグローバリズムの攻勢にのみ込まれようとしている現在、「属国」の立場に甘んじている日本は二重の意味で、独立した主権国家としての存立基盤を危うくしている。

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2017年6月10日 (土)

二極化…か・続き

社会格差のどこが悪いのだ。努力した人間が正当な報酬を得て、努力しなかった人間がそれなりの収入しか得られないのは当然ではないか。という新自由主義的見解は一見もっともらしい。

しかし、競争の前提に大きな不均衡が生じている状態では、その主張は正当性を持たない。生まれてくる環境を人は選べない。経済力のある親のもとに生まれた人間と、困窮した家庭に生まれた人間では、スタートラインの時点ですでに大きな隔たりがある。もちろん、格差があっても努力によってそれを克服し、社会的な階層を上昇していくということはあるだろう。だが、周回遅れでスタートするような大きな社会格差であるとすれば、どこまでいっても追いつかないと、もはやレースをあきらめるしかなくなる。

前半の「努力した人間が正当な報酬を得る」のはそれでよいのだが、後半の「努力しなかった人間が…」との中間に当たる部分が抜けていることに問題がある。「努力した人間」が「正当な報酬を得る」とは限らないという現実があるのに、それを捨象してしまう言い方ではないか。つまり、「努力した」と言うけれど「努力」が足りなかったのじゃないか、という言い方は、「努力しても」必ずしも「正当な報酬を得る」とは限らないという現実があることを、意図的にか無意識にか分からないが見ないことにしている、ということだ。

社会格差はなくならないだろうし、逆に社会格差の存在が社会に活力を与える側面もあるだろう。しかし、社会格差が拡大するばかりで、しかも社会格差が固定化してしまうような社会は衰弱していくだけだろう。この先に「希望」が見えると思われないような社会に対し、誰が意欲を持って踏み出そうとするだろうか。

「衣食足りて礼節を知る」という語句は「管子」が典拠らしい。「衣食足りて」という前提条件がなければ「礼節を知る」状態は至らない。これと同じように競争の前提が著しく不均衡でなく、社会格差が固定的でないという前提条件のもとでしか、「努力した人間が…」の主張は成立たない。「衣食足りて」いない人間には、まず前提条件の充足こそが必要なのだ。

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2017年6月 9日 (金)

二極化…か

学力層が二極化しているのではないか、ということはずいぶん前にも書いた。小さな町の塾屋のオヤジが感じるくらいだから、全国どこでも同じようなことが進行しているのだろうなと思う。

具体的な話。つい一週間ほど前に中学生の中間テストがあった。2年生の数学の試験範囲は「式の計算」。一学年150名ほどの学年だが、おそらく平均点は70点くらいか、あるいは80点あたりまで伸びるのではないかと思っていた。これまで何十年もこの時期の「計算中心」の中間テストは、平均点が高いのが常だった。「式の計算」のみという試験範囲なら、「文字式の利用」の「式による説明」ができるかどうかで点数が分かれるくらいで、計算部分の差は小さい。「等式変形」あたりが、得点差になる程度だった。

ところが、平均点を聞いて驚いた。学年平均で55点。クラス平均は50点くらいだという。えっ、なぜ?何がどうなると、このテスト範囲で55点の学年平均になるわけ?平均点を教えてくれた生徒のクラスは、0点や2点の人もいるという。じゃ、何、80点90点取る人がゴロゴロいる一方に、10点20点以下の人も同じくらいいるということ?どうもそのようであるらしい。きちんと点数の取れる人か、ほとんど取れない人。その中間は少ないという。まさかここまで鮮やかに二極分化しているとは思わなかった。

それにしても、2年生の「式の計算」でこの平均点では、この先「連立方程式」はおろか「一次関数」などに進んだらどういうことになるのか。「式の計算」の単項式・多項式の計算ができないということは、基本的な計算の論理がまったくわからないという状態ではないだろうか。計算の論理でさえ大変なのであれば、関数のロジックなどチンプンカンプンの二乗、三乗ではないか。

思うに、この二極分化は今に始まったことではないのだろう。おそらく小学校の高学年にかかる頃から明瞭化しているのではないか。分からない生徒は、小学校計算から分からなくなっている。九九や桁数の多い数の加減乗除、分数計算、小数計算、単位の変換。どれをとっても小学校の算数でよく分からないまま通過してきた生徒が、中学の数学で撃沈している。

この学力の二極化の背景には、さまざまな要因が考えられるのだろうが、親の経済力の二極化という要因がかなり大きいのではないかと推測する。先日届いていた某教材会社のPRパンフレットでも、十年前と比較して所得の二極化が進んでいることが示されていた。公的な資料にあたったわけではないので確証はないが、世相の実感としても、そうだろうなと思う。

この、親の経済力の二極化が学力層の二極化に結びつくという理路は、どなたも想像できるのではないか。自習教材や添削、学習塾や家庭教師を活用できる余裕がある家庭と、教育費を確保する余裕など全くないという家庭では、学習に対する考え方が明らかに異なるだろう。

問題は、この学力格差が将来的に経済格差につながり、社会格差の拡大再生産になり、ひいては社会学者の山田昌弘のいう「希望格差社会」へと続いていくのではないかということだ。

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